能登被災地支援活動を通して学んだこと

経営人財塾6期生の宮川光太郎です。

私の会社は、京野菜である九条ねぎの生産加工販売に特化した農業生産法人です。「農業の6次産業化」された経営体です。国内で流通している京都九条ねぎのおよそ20%を担っています。

京都の九条ねぎは露地栽培が基本です。ハウス栽培も可能ですが、食味と食感はやはり露地が優ります。その分、台風などの気象災害の影響は大きく、経営に大きなダメージを与えますので、当社は独自のBCP「防災指針書」を運用しています。静岡県藤枝市に新工場を建設したことも、防災指針書をつくる流れになりました。地震(南海トラフ)、台風、感染症対策の3本柱で構成され、今では「経営指針書」とならぶ大きな柱として活用しています。

こうした背景で、社内での防災訓練や教育活動がすすみ、昨年には炊き出し訓練も行いました。南海トラフ地震発生の際、自社のスタッフと周辺地域の皆さんへの支援を想定した訓練です。

ところが、まったく想定していなかったタイミングで、その成果が試されることになりました。本年1月1日に発災した能登半島地震です。当日、地域の「こども食堂」支援を共同で行っている、大手量販店の担当部長へメールをしました。被災地の店舗でお困りのことがあったら何でも言ってください、私たちで手伝えることがあれば何でもやります、という内容です。すぐに担当部長から返信があり、店舗よりも避難所への炊き出し支援をお願いしたいということでした。

現地は混乱しているし、水や食料などの物資すべてを持参して、安全に300食の炊き出しができるのかどうか、検討すべきことはたくさんありましたが、これまでの取り組みで見通しがたちました。年始の社員全体会議で、災害派遣隊の立候補を募ったところ、10名の手がすぐに挙がり、第1次災害派遣を決定。6日には現地入りし、2日間にわたって炊き出し支援活動を行いました。

その後、七尾、能登島、金沢市福祉センター(2次避難所)、輪島、穴水と、第7次までの災害派遣を行い、のべ1793食の炊き出し支援をさせていただきました。これらの活動を通して、実に多くの体験と学習の機会を得ました。時には、被災者の方からの励ましに何度となく涙をすることもありました。このような活動が、当社のような小さな企業にできたのは、日ごろからの地域支援、とりわけこども食堂への支援に関わってきた、人のつながりがあったからこそだと考えています。もちろん、全国どこでも行けるわけではありませんが、ご縁のあるところから、支援のつながりを見いだすことで、自分たちにもこれだけできるのだと、自信をもつことができました。

現地に行った隊員(社員)は、被災者の方に何かを施したという思いはまったくなく、困っている方の何らかの支えになれた、わずかながらもお役に立てた、そうした感覚を実体験で得たことで、その後の意識に良い変化があったのは言うまでもありません。完全な自己犠牲や自己満足、そのどちらでもない、人としてごく自然な感情としての「困っている人がいたら助ける」活動でした。当社にある行動指針(こと京都人宣言)そのものです。企業として、ようやく素直に行動できるようになったことは、皆の誇りになったと思います。同時に、もっとも大切であるのは「心」であり、お互いの思いやり、助けあいの精神であったことを学びました。

人財塾で坂本先生から学んだ、困っている人、立場の弱い人に対する、あたたかい眼差しと、勇気ある行動の実践を、社員のみんなと行えたことが、人財塾で得たことのフィードバックになっているとすれば、とてもありがたいことです。

またありがたいことに、活動の詳細を報告する機会を頂戴しました。第11回全国大会・分科会研究発表にて「こども食堂と防災経営」と題して報告させていただきます。当日はどうぞよろしくお願いいたします。

人財塾6期生・こと京都株式会社・宮川光太郎

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「能登被災地支援活動を通して学んだこと」への1件のフィードバック

  1. 完全な自己犠牲や自己満足、そのどちらでもない、人としてごく自然な感情としての「困っている人がいたら助ける」活動  ==> とても共感します。でも、容易にできることではありません。リーダーシップを発揮され、実行している宮川さんから、大きな刺激をいただいています。能登の被災地支援も、すぐに行動に移され、1月の人財塾で報告してくださったこと、よく覚えています。学会、分科会での発表は、アーカイブで是非、拝見したいと思います。発表、お疲れさまでした。