利他の意味するところ
一般的には利己よりも利他の精神をもった方がいいと言われます。確かにそのとおりだと思います。私も「利他」に価値を置いています。
しかし「GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代」(アダム・グラント著)では、自分よりも人を優先するギバーは、時として利己の人に利用されて大きな不利益を得ることがあるとも言っています。(なお、表題にもあるように、この本では「与える人」こそ成功するという結論になっています。)
また「わかりあえない他者と生きる」(マルクス・ガブリエル著)では、利他主義は道徳ではないと言います。利他を道徳(たとえば「善」)と考えると、利他は「他者」に対して「自分」が義務を負うことを意味することになるというのです。一方で「他者」は、「自分」に対して義務を負うことになる。 ではなぜ、「自分」が「自分」に対して義務を負ってはならないのか?と問うのです。
このような本を読んでいると、何が何だか分からなくなってしまいます。 私自身、どう「利他」を自分の中で整理すればいいのか、自問自答をしています。その中で、今は次のように考えるようになりました。
「利他」とは、自分を大切にするように他者を大切にすることである。
これでは利己なのか利他なのか分からないと批判を受けそうです。でも、自分を犠牲にして他者を利するという人はとっても素晴らしいとは思いますが、自分ではできません。また人にも勧められません。
私が、職員に対して、「利他の心をもって、お客様を大切にして欲しい」という時、自分を犠牲にしてお客様を大切するのではなく、自分を大切にするように、同じレベルでお客様を大切にして欲しいという気持ちであると伝えたいです。決して自己犠牲を強いてはいけないと思うのです。
(学会 法務部会 常任理事 弁護士山田勝彦)
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