No341記憶に残る言葉【株式会社平和園:新田隆教社長】

今回は2013年9月と2017年9月、2度坂本ゼミ夏季合宿として視察させていただいた『株式会社平和園』さんから記憶に残る言葉をご紹介致します。
先週は2013年9月、当時73歳だった新田良基会長のお話でしたが、今週は2017年9月に2度目のご訪問の際に初めてお会いした新田隆教社長の講話から印象に残ったお話をお伝えいたします。
新田社長はご訪問時50才。新田良基会長の三男です。

<概要> (当時の会社案内及びホームページより)
http://www.heiwaen.co.jp/
代表者 代表取締役 新田隆教(新田良基氏の三男)
創業者 現会長の新田良基氏のお父様が帯広駅近くに焼肉『平和園』を開店
創業 1959年
事業 焼肉レストラン運営、淡水魚洋食販売及び釣り堀経営
店舗 十勝管内6店舗、札幌市内3店舗
売上 約13億3150万円(2016年3月期)
経常利益 約7500万円(2016年3月期)
社員数 約140名
来場数 年間約70万人

新田隆教社長は、“事情があって今回初めて社長として対外的にお話をします”と驚きの告白から始まったことを今も鮮明に覚えています。
社長就任は2012年ですから、伺った2017年9月までにはすでに約5年もの歳月が流れていたからです。
“20代後半からある難病に侵されていました。そのため今は視力を失っています”
その難病は徐々に視力が失われるものでした。お会いした時はすでに視力のない状態でした。我々ゼミ生は皆静まり返り、新田社長のお話に神経を集中させ、耳を傾けました。

会社を継ぐつもりはまったくなかった新田隆教社長。大学卒業後は銀行に就職しました。
なぜなら長男が飲食大手で修行しており長男が継ぐことは既定だと考えていたからです。
しかし、思わぬ不幸が訪れます。平和園を継ぐ予定だった長男は不慮の事故にあい、働くことすらできなくなります。
“兄が元気な時、2度ほど兄に平和園で一緒にやろうと誘われていた”
“兄が隆教氏の銀行就職を「将来の管理役員」だと喜んでいたこと”
そんな思いが、日々視力を失っていく苛酷な生活であるにもかかわらず、隆教氏に社長就任を決断させたのではないでしょうか。

2001年BSE問題の時、おそらく日本中の焼肉屋さんは大きく売上を低迷させている中、平和園のある店舗だけは売上が落ちず逆に20%アップしました。なぜならそのお店は帯広の畜産地帯にある店舗であり、平和園さんと取引をする畜産を営む皆さんが大勢お店に足を運んだからです。
“こんなに厳しい時だからこそ平和園を応援しよう”畜産農家の思いが行動になりました。
しかも4ヶ月間売上が増加しました。平和園が地域や畜産農家を大切にしてきたひとつひとつの積み重ねがあったからこその思わぬ出来事でした。

***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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