No364記憶に残る言葉【株式会社久保田オートパーツ;久保田 茂社長(当時)】

今回は2015年3月、「第5回日本でいちばん大切にしたい会社大賞」において審査員特別賞を受賞された『株式会社久保田オートパーツ』さんをご紹介致します。当日は久保田 茂社長(当時)にお話を伺いました。
2012年10月法政大学大学院の坂本先生の授業の一環として数名のメンバーとご訪問させていただいた情報を元にしたお伝えとなります。当日は久保田 茂代表取締役社長(当時)、久保田 泰規副社長(当時)にお話を伺いました。現在は久保田 泰規氏(ご子息)に事業継承をされています。

 https://www.kubotaap.com/

●概要(現在ホームページ情報をもとに一部修正)
会社名 株式会社久保田オートパーツ
創業 1975年4月(久保田自動車解体として現社長の父;茂氏が開業)
代表者 久保田 泰規
従業員 50名
資本金 5,000万円
事業内容 
 廃車・中古車の買取り(処理能力1,500台/月 処理実績台数10,000台/年)
 国内向け中古自動車部品販売(登録在庫点数約25,000点 非登録在庫点数10,000点)
 中古車販売(平成18年1月より展示開始)
 中古部品輸出金属類買取り自動車の適正処理(全部再資源化)

●自動車リサイクル業
1975年、解体事業を営む久保田茂社長の兄が体調を崩したために、事業を引き継ぐ形で久保田茂氏が久保田自動車解体(のちに久保田オートパーツへ社名変更)を創業しました。
その後にリサイクル業へ発展させ、部品販売や輸出、中古車販売等事業が広がっていきました。

●個人が“売って良かった”と思う中古車買取り
個人から中古車を仕入れる割合は30%程あり、業界としては非常に高いことが強みになっています。
オーナーが愛着のある車との別れを惜しむときのためにお神酒があり、愛車と最後に写真をとるためのポラロイドカメラも用意されています。
最近始めたお礼状のサービスでは、〇月〇日に預かったお車、エンジンは国内、A部品はマレーシア、B部品はロシア等々を記載したリサイクル完了報告を作成して愛車が迎えた最期をしっかりとオーナーへ伝えています。

こんなエピソードがあります。
ある時期から宮崎県のある地域からの中古車持ち込みが多くなりました。理由は、その地区のガソリンスタンドの店員さんがひいきにしてくれていたことが判明。“売るなら久保田だ”とお客さんに言い続けてくれていたからでした。
正しい経営が生み出す社外ファンの存在がここにもありました。

●見学会の受け入れ
地元の小学校を中心に毎年多くの見学を受け入れています。社員の皆さんは説明が上手でとても理解しやすかったです。理念の共有や社員教育がなされていることが心地よく感じられました。

●書籍『一念岩をも徹す』著書;久保田茂
この本は久保田茂社長の波乱の一生をとても正直で謙虚に書かれた自伝です。
・何のために働くかを考えるようになり、“会社は社員の生活を守る砦”と気づいたこと
・社員の生活のための場所を作ることが社長としての役目だと知り、様々な勉強会に参加、書籍をたくさん読んだこと
・沖縄から北海道まで全国の会社を訪ねて回ったこと

そして人生のターニングポイントや公私ともに大きな出来事が語られています。
・高校受験に失敗し、落ちこぼれや不良の集まる高校で自信を無くした時期に、毎日のように校長先生が、“やろうと思えば、誰にでも、できるんじゃから!”と言い続けてくれた言葉が、生涯にわたって自信の源になったこと
・1986年、モトクロスバイク練習中に大怪我によって両手両足が動かなくなる人生最大の窮地から奇跡的な回復を遂げたこと
・1993年、幹部社員の反乱から倒産危機に直面したこと
経営者として地獄のような日々を過ごした経験が、今ではその幹部社員にすら感謝し今日の同社を作り上げてきたことがわかります。

●最後に
同社の歴史は、久保田茂元社長が、まわりから学び続ける謙虚で正直な姿勢、そして想いの強さが作り上げてきたものです。
ご訪問した年の年末をもって息子さんへ事業継承を決めていました。しかも8年前から着々と進めていた計画でした。
『企業を興して半人前、企業を承継してやっと一人前の商人』という本に書かれた言葉が印象的でした。

***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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