生産者が安心して米を作れ、消費者がおいしい米を食べるために

2024年の夏頃から、社会問題として、大きく取り上げ始められたのが

米不足と米価の高騰という、いわゆる「令和の米騒動」と言われるものだ。

街中のスーパー等から、米が消え、このブログ原稿執筆時で、

東京都区部小売価格ではあるが、

2024年2月時点で5㎏2,300円だった価格が、

2025年2月時点で5㎏4,239円と、

わずか1年の間に約2倍に価格が高騰している。

政府も当然、価格を抑えるための対策は打っている。

新たに農林水産大臣に就任した小泉大臣が、

これまで、備蓄米の入札参加条件が、大規模な集荷業者に限られ、

しかも買い取ってから1年以内に同量を買い戻さねばならないという

条件があり、それをクリアできる集荷業者が限られ、価格高騰に

つながっていた売り渡し方法を随意契約での売り渡しという方法により、

店頭での販売価格は税抜きで2,000円程度に抑える見通しを立て、

何とか価格の安定化に努めている。

ただ、ここで考えなければいけないのは、

そもそも、なぜ、米は安く売らなければいけないのか。

本来の米の適正価格はいくらなのかということだ。

直近の報道での生産者の声を見聞きすると、5㎏3,000円台という価格が見受けられる。

今回、備蓄米が2,000円程度で売られることで、

多くの消費者は、都合よくその販売価格だけが頭に残り、

今、売られているすべての米が値下がりをする。

今後は、また米価は2,000円程度になる。

と思いこむ危険性があるのではないかと危惧している。

今回は、あくまで令和3年と4年に収穫された古古米の販売という条件があるから、

また随意契約という売り渡し方法を採用したからこその価格なのだ。

今後、米の量が一定数確保された後も、

価格が4,000円台で推移し続けるとは思わないが、

だからと言って、2,000円台に戻るということもないと思っている。

それは、今回、2,000円台で推移し続けてきたことが、

誰かの犠牲の上に成り立っていたことが分かったからだ。

日本では、米を長らく主食としてきた。それは今後も変わることはない。

それゆえ、毎日食べるものだからこそ、

生産者側も、販売者側も、購入者側も、

「(毎日食べるのだから)買いやすい価格で」という

見えないルールに縛られてきたように思う。

しかし、そのほかの飲食料品等が軒並み値上げしているように、

当然、米作りを行うための肥料代や

農機の購入費・メンテナンス代は値上がりしている。

さらに、稲作が販売金額1位である個人経営体の

基幹的農業従事者の年齢構成を

農林水産省「農林業センサス(2020年)」(組替集計)でみると、

稲作単一経営の基幹的農業従事者の平均年齢は71.1歳と高齢化が進んでいる。

このまま行けば、いつか、米を主食とすることが当たり前ではない

時代が来るかもしれない。

実際に、肥料代その他の価格が上がっているなかで、

米の値段を値上げせずに安く抑えたままにし続けるというのは、

米農家をはじめとする誰かに、

私たちが米を毎日食べるために犠牲になって

美味しい米を安く作り続けてくださいと言っているようなものではないだろうか。

購入者側も、この経済情勢の中、とにかく低価格の米を求めるのではなく、

この状況下、なぜ、価格が安い米が販売されているのかに疑問を持つべきだ。

そうでなければ、最悪の場合、毎日、米を食べることができなくなる

ことさえあることを真剣に考えるべきだ。

それを回避するためには、生産者が安心して米作りを行え、

購入者も生産者の苦労に寄り添えるようなバランスの取れた価格。

そして今後も、米を主食とし続けるための安定的な米の生産・供給のために

必要不可欠な米農家の後継者育成にもつながる価格を、

生産者と購入者で今一度考える必要があるのではないだろうか。

「購入者のために、美味しい米を安く届けたい」という精神は、

だれもが根本に思っているところではあるが、

そのためには、それを実現し続けるために、

生産者と消費者が互いに納得できる正しい価格(適正価格)を考えることが、

まずは重要ではないかと思う。

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