大人にだまされるな!就職戦線異常あり⑬矢沢永吉の生き方

どんな逆境でも、矢沢永吉はひるまない。一人乗り込み、自分の流儀を貫き通す。 1949年、原爆が投下された4年後に広島で生まれる。 幼い頃に父は亡くなり、母は家出。不憫に思った祖母が育ててくれた。 凄まじい貧しさで辛かった中学3年の時、ビートルズの音楽に出会った。 人生のたった一つの救いがロックだった。

「僕はビートルズを聴かなかったら歌手にならなかった。雷がズドーンと落ちた衝撃だった」 「もう絶対に、ロックシンガーになろうと思ったね」

18歳でギター1本持って広島から東京へ向かう夜行列車の最終便に飛び乗った。 「広島のプラットフォームがバーッと離れていく時、えっ、ちょっと待てよ、オマエ本気でやろうとしてるわけ、オマエ嘘だろ、オマエやめとけよ、オマエ酔ってんじゃないよ。怖い怖い怖い・・・           だけど、もう一つの気持ちはね、うわあ離れていく、そう、いいんだ、いいんだ、オマエこれからオマエの物語が始まるんだよ、映画が始まるんだよって・・・ 映画の中に置き変えないとね、夜汽車に乗っていけなかった」

長旅でケツが痛くなり、横浜で途中下車した。あてなんか無かった、ただ、ビッグになってやる。   たとえ客が一人でもロックを歌い続けた。                            23歳、長い下積みのあと、ロックバンドCAROLでデビューした。                   革ジャンとリーゼントのロックンロールは社会現象となり、矢沢はカリスマとなった。

「もっと自分の財産を守れ、財産は自分のプライド、自己の主張を持つの」             「いつの時代だって、やる奴はやるし、やらない奴はやらない」                 「ダサいと思う物があるよね、でも、本人がこれでいいんだって行動すれば、かっこ良くなる」     「お前たちには敵がいる、“苦労したことがない”という敵だ。油断してると牙をむいてくるぞ」

矢沢は48歳で友人に騙されて35億円の借金を背負った。                      歌って歌って、返し切った。

「でも、まあ、人生って捨てたもんじゃないぜ。70歳過ぎても、まだステージに立ってる」       「若者たちからアドバイスを求められるけど、教えられることは無い。まあ、自分であがけ」    (人を大切にする経営学会:根本幸治)


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