25年

野口具秋です。

外出から帰り上着も脱がないまま長電話になってしまった。
久しぶりの声にそのまま椅子に座りこんでしまったのです。
番号をみると、静岡時代の会社仲間であった。
こんな電話はろくなことがない。
だれ誰が死んだのでお知らせします、というのが多い世代なのです。
胸騒ぎがして思いをあれこれ巡らした。
電話の向こうの声が元気なのでほっとする。
数年に1度くらいなので懐かしさがこみ上げてくる。
気軽な電話になった。
 
新製品の発売に先がけ市場調査に着手した彼は、
その選定先は十年ぶり以上の訪問であった。
こんな営業マンを誰だって相手にするわけがない。
私が経営者であれば、塩を撒いて追い返すだろう。
そこで逃げ出したらベテランの営業マンは勤まらない。
製薬業界は使用可能な製品があってのユーザーで、
対象製剤がないのでと割り切る業界なのです。

浜松市助信町にある「福島旅館」に出張ごとに泊まっていた。
彼とは6畳で寝起きをともにした。
ビジネスホテルではない商人宿でした。
おばあちゃんは本田宗一郎が贔屓にした芸者さんでした。
「宗ちゃん、宗ちゃん」が口癖でした。
古臭い小汚い旅館は優しいお父さんとお母さんがいて、
毎日お勘定場でビールを飲みながら夜が更けるまで、
四方山話に花が咲く楽しい時間を提供してくれたのです。

医者は唐突に「野口さんに大変世話になり、当時たくさんの製品も
使ったが、それ以降は全く姿も見せないし、これからの採用は難しい」。
忘れていた記憶が湧き出てきた。涙が出てきた。
2人とも40歳くらいで同じ悩みがあり、
その悲しさを2人でカラオケに紛らしたのでした。
25年以上もの時が過ぎ去り、
多くの業者が出ては去り、現れたは消える四半世紀、
一介の出入り業者に過ぎなかった一営業マンを忘れずにいた人がいる。

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