社会人が大学院にいくということ

日曜日担当の金森です。

社会人が大学院にいく目的は、
皆それぞれに異なり、
必ずしも学術論文を書くことが目的である必要もなく、
その人なりに、
今までとは違う自分に出会う契機となればいいと考えます。

さて、それでは私自身は?と自問すれば、
まずは、自分の研究の視点を多角的に持ちたいからという理由が第一です。

次に、自分の殻を破る契機を得たいという目的があります。
活字にすると大げさですが、ほとんど無意識に近いものです。

僕は名古屋で仕事をしていたんだよ・・・
僕は名古屋の出身なんだよ・・・
今度は納屋橋饅頭が食べたいよ・・・ ←オイ(笑)

この「おもてなし」から得たものは、なによりの財産です。
人間関係は「気持ちひとつ」だということです。

それでも、仕事や家庭、それぞれの社会的な役割などを果たしながら、
時間をやりくりし努力する「過程」から得られるものは無限です。

時には、業務が多忙な中で通学することに嫌味を言われ(あのお酒はどうなったのでしょうか・笑)、
自分の置かれている立場に悩み、
さまざまな理不尽なことが却って際立ったり、
体力的にもきつかったり、
皆、それなりにさまざまな「思い」を抱えているはずです。

しかし、それがどんな苦悩であっても、
  「今ここに自分と向き合う課題」
が見つかったことが何よりの宝物であるということでしょう。

自分なりの歩幅で、ゆっくりと、
他人と比較することなく、
自分の気持ちに手を当てて、
正しいと思うことを取捨選択して、
今までの自分の殻をちょっと破ってみる。
いや、破ろうと「小さなハンマー」を振ってみる。

そして、他人のために役に立てる自分を見つけていければ、
それがどんな形であっても、
すぐに成果につながらなくても、
気づけたことだけで、
それだけですばらしい「学位」だと思う。

しかし、これはいい仲間に恵まれなければ得られないものであり、
みんなからの暖かい気持ちが自分に向けられなければ、
人間は心の余裕は持てません。

社会人が大学院に行く時、その選択に必要なことは、
素敵な先生のもとで、
素敵な仲間に囲まれて、
そして、社会のためにみんなで取り組める環境がある。
この3点が揃っているかだと思う。

今までの自分の殻を破り、新しい視野を持てる契機は
社会人大学院にたくさん転がっている。
もちろん、理論的な学問研究にも大いに役立つものである。
                                    以上

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