霧の彼方に
昨日は、鴻上尚史さんから、人の気持ちを動かしながら自分の感情を出す
、作品(戯曲)の書き方を教わった。
鴻上さん曰く、戯曲において、いい作品とは、
未来の動きと同時に過去の動きが明らかになってくるものだという。
僕は、今、『経営者の肖像』という戯曲を書いています。
先日、平田オリザさんの『演劇入門』を読んだ。
平田さん曰く、演劇の技術とは、「自分の妄想を他者に伝える」技術である、という。
そして、僕がオリザさんの言葉で一番印象に残ったのは、
「伝えたいことなど何もない。でも表現したいことは山ほどあるのだ」という言葉です。
この言葉に出会って、やっと僕は、自分が感じていた違和感に納得できたのです。
オリザさんの言葉を続けると、
~繰り返すが、伝えるべきものがなにというのは、伝えるべき主義主張や思想や価値感は、
もはや何もないということだ。
だが、伝えたいことなど何もなくても、私の内側には
、とめどなく溢れ出る表現の欲求が、たしかにある。
その欲求は、世界とは何か、人間とは何かという、
私の内側にある混沌とした想いに、
何らかの形を与えて外界に向けて示したいという衝動と言い換えてもいい~。
僕が感じていた違和感を少し言語化してみると、たとえば、最近のビジネス書。
多くのビジネス書は、僕にとっては、読むことに耐えられない本が多いです。
ビジネス書だから、ノウハウを伝えることが書籍の役割なのだということはわかっているのですが、
・こうあるべき論
・こうすべき論
主義主張や思想や価値感、著者の想いが強すぎる本には、僕はめまいが起こってしまいます。
また、人と会っても同様です。
想いの強い人が苦手です。
これは、先日、ストリートデザイン研究機構の講演で早稲田大学の竹村教授の講演を聞いて、「あーそうか」と思ったのですが、僕はモノゴトを多面的にとらえる習慣があって、一次元的にとらえる人と会話というか対話が成立しないのです。
よくよく考えてみれば、このことが僕が人と上手く付き合えない原因だったみたいです。
最近、自分がどういう視点を持っているのか、やっと自覚できるようになりました。
僕が経営者として、ここまで仕事をしてきて、またいろいろな経営者を見てきて、
もちろんいろいろなことを感じている訳ですが、「経営はこうすればうまくいく」「経営者はかくあるべきである」という言葉にはどうも心を閉ざし、耳を塞いでしまう習性があるみたいです。
人間がひねくれているのでしょうか。
それがいいことか悪いことかはわかりません。
僕は僕から見えている景色、
つまり経営者の微細な精神の振幅を戯曲の中で顕在化させてみたいと思っています。
それが今、僕が書いている戯曲、『経営者の肖像』です。
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