六花亭さん

先々週まで先生の新産業創出論の授業がありました。
とても内容が濃く、ついていくことに必死でした。

その中で、各自がテーマを決めて調べる課題がありましたので、
帯広の農業・お菓子の集積を取り上げてみました。
六花亭さんの創業者の小田豊四郎さんとお母様の修正直後数年のご苦労には感動することしきりでした。
その後の歴史も興味深かいものでしたので、ご紹介させていただきます。

1941年 豊四郎結婚
1943年 召集令状
1945年 戦争終戦
1952年 帯広開拓70周年&帯広市になって20年の記念品のお菓子を任される。依田勉三がはじめて帯広にクワをいれてから70年。依田の詠んだ『開墾の はじめは豚と ひとつ鍋』をモチーフに“ひとつ鍋”という御菓子を完成させた。ヒット商品となる。
1955年 会社の経営方針の基礎をつくってくれた新保民八(しんぽたみはち)と出会う。雑誌『商業界』創刊者。
1959年(昭和34年)『サイロ』創刊
1965年 本店新築。市内で初めて道路を温めて雪を解かすロードヒーティングを採用。
1967年 「商業界」のメンバーと欧州視察へ。チョコに魅了され、帰国後工場建設。
1972年 ホワイトチョコの製品が売れ始める。他店の類似製品が増え、北海道全体で売りたいと考えたが、札幌千秋庵の許可がでなかった。最終的に45年ともに歩んだ暖簾を返上し六花亭となった。これからというときに母が86才で亡くなった。豊四郎64才。
2006年(平成18年) 豊四郎90才で死去

お菓子をいただくときには、美味しさと同時に何かを感じとるのだと思いました。

桝谷

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