障害者雇用 北海道光生舎へのお礼状

M1 染川です。

社会福祉法人 北海道光生舎 の元従業員のメッセージです。
とても感動的な文章です。

髙江名誉理事長を偲んで

光生舎で働くことの喜びを学びました。私たちに働ける喜びを与えてくれた
髙江常男理事長と寮長である奥様に、心から感謝申し上げます。
障害の重い私に仕事をすることなんて、考えられない時代でしたから。

光生舎に入社した昭和37年5月は、春のピークで品物が山のように、
まるで天井に届くかのように歩くところもないほどの品物の山々で、
工場の中は活気に溢れていました。冷たい水で真っ黒に汚れた
コート類の襟をササラでこすり、手にあかぎれを作っていた者、
夜中に凍ったおにぎりを乾燥室で溶かし、食べ終わった者から仮眠をとり、
目が覚めたらまた夢遊病者のように、誰もが寝る暇を惜しんで、とにかく働きました。

理事長は、一日に何度も職場を回り、「かごが曲がっている」
「通路に品物を置くな、四角いものは、四角におきなさい」と、いつまでも注意をしていました。
理事長に叱られた人は、ビリビリと感電したようになるので、
私たちはひそかに理事長を「嵐をよぶ男」と呼んでいました。

決済書類が山積みになっていても決して「めくら判」を押すことなく、
赤ペンを咥え一枚一枚チェックを入れるため、戻ってくる書類はいつも真っ赤でした。
仕事では非常に厳しい理事長でしたが、普段は家族同様、親身に私たちに接してくれました。

理事長が一人一人に給料を渡されるときに、優しい笑顔で「ご苦労様」「がんばったね」と
声をかけてくれたときは、とても嬉しくて、「来月もがんばるぞ」と思ったものです。
働けて、お給料を頂けること、その喜びで「生きていけるよ」と自信を深めました。
また、温かく心のこもった三度の食事に、寮長の優しさを感じました。
後から知ったことですが、売上は急伸するものの運転資金不足で四苦八苦していた当時、

理事長は「借金はなんとかするから、食べ物だけは腹いっぱい食べさせたい」と、
私たちの面倒を見てくださったのですね。ご自分は十年間以上無給で、
生活費は仕事が終わったあとに、地元の新聞記事を書いて賄っていたことを知ったときは、
涙が止まりませんでした。働く喜びは私にとって、人生の宝物であり、
理事長が開拓してくださった道以外に私を救うものはなかったと思います。
人生の道を拓いてくれた光生舎と理事長に心から感謝しております。本当にありがとうござました。

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