中越地震

野口具秋です。

10年前、平成16年10月23日夕方6時ころ、
新潟中越地区、長岡市一帯を地震が襲いました。
新潟担当であったのですが、
偶然、自宅にいて難を逃れました。
長岡に駐在する4~5人は、
これまた偶然に新潟市にいて、全員命に晒されず済みました。
活断層の上にあった同僚の家は傾き、
家具が部屋の中をぶっ飛んだのか散乱していた。
家の前の道路は延々と波打ち在宅であれば
死の危険にあったでしょう。

皆川優太くんが、ハイパーレスキュー隊に
奇跡としか言えない救出がありました。
余震の続く、崖っぷちの、川べり岩場の
救出劇を新発田の道の駅で、
実況中継をハラハラして市内の単身住宅に帰るのも忘れ、
数時間見入っていました。
外は冷たい霙を思わせる雨が降っていました。
オレンジ色の隊員が、
おしめをした裸の赤ん坊を助け上げた時は、
人影疎らなTVの前で
大きなため息と感動の拍手がでました。

中越地震当日の埼玉での震度は4だった。
新幹線が止まり、新潟に出るのに
会津経由で大変な時間が掛かりました。
3・11大震災は震度6弱、
ワイフ殿はマンションが倒れるといった。
被災地に行った際、凄まじい光景を見ました。
この夏気仙沼で盛土が10米になる工事を見ました。
地震以来、我が家はヘルメットはじめ避難用品を備えました。

山古志村(現・長岡市)は闘牛や錦鯉、
魚沼産コシヒカリ、栃尾揚げ(超厚油揚げ)と
全国的に知名度が高いものがあるが、
訪れたことは一度もありません。
冬は雪に閉ざされる奥深い山里のようです。
当時2歳で4日後、
27日に救出された優太君は12歳になり、夢を追いかけ、
柔道一直線の少年になった写真を見つけました。
大学院近く「酒当番」で栃尾揚げを注文するたび、
過ごした2年あまりを思い出します。

坂本光司教授 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「中越地震」への2件のフィードバック

  1. 野口さん
    おはようございます!
    この地震の際に最初に行動を起こした自衛隊の隊長の話を伺ったことがあります。
    訓練と称しで行動を起す。
    全面に出るのはレスキュー隊ばかり、子どもが助けられた時にも、本当は自衛隊が救ける事ができたと言っていました。