水曜ブログゲスト:石巻での東日本大震災

こんにちは。
㈱協和 石巻営業所の千葉 美恵と申します。(9年生です)
今回は私が経験した東日本大震災について少しだけお話したいと思います。

当時、私が住んでいたアパートは海沿いから1km位にありました。(残念ながら全壊しました)
私は自宅が心配でアパートへ向かったのですがその途中、大津波警報(到達水位予測7m)が出たので
アパートから自分の実家へ進路を変更しました。
私の実家は普段車で片道20分の道のりでしたが、その時は3時間かかっても辿り着けない程すごい渋滞でした。
なんとか無事に実家に向かい、両親と主人を乗せて内陸に移動しなければ…
早く早く!!
津波到達予想時刻が迫るなかで気持ちばかりが焦ります。その時でした
側溝から水が吹き上がるのが見えました。
とうとうキタッ!
何とか脇道を通り、実家まであと数百メートルという所でアッと言う間に水が押し寄せてきて動けなくなりました。
どうしようかパニックになっていた時、運良く先に実家に到着していた主人と連絡が取れました。
私は自分のいる場所を伝えるのが精一杯で何を言われたのか、何を言ったのかも覚えていません。
どんどん水位は上がってきます。
「ああこの車にいてもダメだ」と思った時、水の中をこちらに向かってくる人がいました。
なんと主人でした。自分は安全な場所にいたのに私を迎えに来てくれたのです。
「両親が心配している。絶対に二人で実家に帰ろう」(この人と結婚して本当に良かったなぁ)     
感動している間もなく私は頷き、覚悟を決めて水の中に入りました。
あれ? え? 痛い!!!
冷たさではなく、痛みが全身に走りました。
足の感覚が無くなり、地面に足が着いているのか、前へ動かせているのかも分からない程でした。
水の抵抗は想像以上に強く、油断すれば足がとられてしまいそうです。
一歩一歩がこんなに辛いと思ったのは初めてでした。
真っ黒な水の中を進みながら、
「ああ、実家に着いたら真っ先にお風呂に入って温まりたい…」
とばかり考えていました。が、その願いは実家に着いて砕かれました。水道、電気全てが止っていました。
そう、私達が実家に向かっている同時刻にはすでに各地で悲劇が始まっていたのです。

それから数日が過ぎ、実家から会社まで自転車で通えるようになった頃
河崎 東美彦社長がミスタードーナッツを持って慰問に訪れて下さいました。
まだ泥だらけの事務所なのに嫌な顔もせず、いつもと変わらない明るい笑顔で
所員を励まして下さり、本当に嬉しかったのを覚えています。
先の生活がどうなるのか不安で張り裂けそうな心に「石巻営業所の存続」の言葉がどんなに響いたことか…。
『社長が社長で良かったなぁ(泣)』
限られたものしか口にできなかった時に頂いた、ドーナッツの味は忘れられません。
今、またこうして人並みの生活ができるのも全国民の皆様、
㈱協和全社員の皆様の温かい支援があったおかげです。
本当にありがとうございました!
 
以上が私の東日本大震災の経験です。長文となりましたが、ご精読ありがとうございました。

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「水曜ブログゲスト:石巻での東日本大震災」への2件のフィードバック

  1. 千葉さん
    こんにちは!
    地元に住んでいる人でないと体験できない内容が文章から伝わってきます。
    本当にありえない事が起きてしまいました。
    一日も早い復興が実現しますように!!