故・飯塚 毅先生との出会い 1

つづき)

39年前の9月20日頃、法政大学4年生の時に10月からの会社訪問の解禁日が迫っていた。翌月の11月から入社試験だった。合格すれば翌年の4月から入社となる。
今とは会社訪問解禁と就職時期がかなり異なる。ワープロ、HP、メールはなかった。FAXもまだだった。
会社の情報はリクルートブック2冊、合わせて15センチ程度の厚さの本だった。
私の会社の選択基準は、20年後、30年後、、、成長する会社、業界を考えた。コンピュータでもハードではなくソフトと思った。
リクールトブックのソフト会社。「人生の1回生は地球より重い」「職業会計人と地方公共団体の計算センター」が目にとまった。

株式会社TKC、創業者、100年に一人と言われる「故・飯塚毅(たけし)」先生との出会いだ。

高杉良、作、小説「不撓不屈」、があり後日、映画になる。

税理士・飯塚毅が中小企業の経営と従業員への利益還元のため勧めていた節税対策。しかし、これを認めない国税局と、飯塚は約7年に及ぶ想像を絶する対立を繰り広げることになる。後に「飯塚事件」と呼ばれることとなったこの出来事が、一人の人間の信念と家族の強い包容力に支えられた不撓不屈の精神によって多くの理解者を生み出してゆく様を力強く描きあげてゆく。
男の闘いとその生き様を支えた家族の愛は見るもの全ての心をうち、胸を激しく揺さぶられる!

鎌倉の生前の飯塚毅先生から栃木県鹿沼市の実家を預かる家の者へ時々、問い合わせの電話があった。
10か所くらいある書棚の内、「あの本棚の上から何段目の左から何番目に「〇〇〇〇」の本がある。その何ページの何行目にこういうことがあるか確認してくれ」、和書、独・英等の書物があるが100発100中とのこと。すなわち、一回読書するだけで頭に入ってしまう。難関の公認会計士試験の際も数科目ある試験の本を数日間で1回だけ目を通してトップ合格。
確かめていないが、田坂塾を主催する田坂広志先生も1回読むだけで頭に入る方だと思う。
そういう人もいるのである。

つづく)

修士2年の知野 進一郎です。

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