節目の70年

野口具秋です。

空高く銀色のB29の編隊飛行をよく見かけた時代でした。
2機のこともあり3機のこともありました。
焼き爛れた鉄骨の残骸や防空壕も残っていました。
少年時代を製鉄の町・姫路市広畑で過ごした。
戦争は終わっていたのですが、
父親は空襲に慣れ、
防空壕に逃げ込むのが面倒になったと、生前言っていました。
敗戦直後に生まれた私はもちろん知りません。
物心がついたころは溶鉱炉の煙は静かに立登っていました。

サンフランシスコからヨセミテ国立公園に向かう途中に
空軍基地があります。
軍用機が展示され、博物館になっています。
基地には無造作に数々の軍用機が
屋外に整然と置かれていました。
子供のころ見上げたB29に再会しました。
ベトナム戦争でお馴染みのB52、大きいのです。
一回りしました。
F35、当時、門外不出ステルス戦闘機が
展示されていてビックリ。
川崎重工が開発、実用化されなかった
戦時下の国産軍用ジェット戦闘機まで展示され、
時間を忘れました。

墨田区錦糸町公園、周囲800m。
かつての精工舎工場に隣接した船橋屋近所です。
この公園に13千体の遺体が埋められていた事実を
この夏、初めて知りました。
昭和20年3月10日東京下町大空襲、
B29の大編隊によって
10万人の犠牲者が一晩で出たという。
50歳時、蔵前橋通り1丁目に住んでいて
ジョギングで公園を何度も周回していたのです。
終戦記念日を知らない世代が沢山います。

15日を挟み、戦後70年を節目として
多くの特集が組まれたようです。
この9月に同じく節目を迎えます。
風化する第2次大戦、改めて感慨を新たにします。
1970年に北山修作詞、杉田二郎唄う
「戦争を知らない子供たち」
♪青空が好きで 花ビラが好きで 
いつでも笑顔が素敵な人なら…♪ 
北山は15日、ラジオで語る。
45年前のそのころ、とっても歌詩は大甘だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

「節目の70年」への1件のフィードバック