知覧の語り部を永遠に
2度目は、鹿児島市のホテルを出発する時から泣いていた私。知覧特攻平和館まで車で1時間程度かかる。
3度目のお礼で、11月25日に法政大学大学院、坂本光司教授と神田経営者クラブ、静岡県中小企業経営革新フォーラム21、福井県経営革新フォーラムのメンバー20で視察をした。
私を含め数名の坂本ゼミ生もメンバーだ。
太平洋戦争末期、無駄な死を伴う特攻だと分かり切っていたのに、軍の幹部のメンツでの作戦と私は思っている。しかも、誰も責任をとらなかったと聞く。
トップが会見に出てこない不祥事企業を思う。恥を優先する日本人の特質かもしれない。
潔く逝った若者、前夜、三角塔の兵舎で涙を出し切った若者の方が多いと思う。飛び立った後を掃除した近くの女子高生が濡れた枕を見たと声のガイドブックが言っていた。
特攻、戦争でなくなった方がいたので、今の繁栄した日本がある。
もっと幸せがないだろうか、と考えていた日本人。
幸せって何だろう。
3.11が教えてくれたと思う。
トメさんの話、、。
日本人として生きる使命を強く振り返る場所でもある。
行くバスの中で、坂本教授が修学旅行で海外に行くよりも、大人達が子供達を連れてきた方が良いと言っていた。
距離の問題もあるが、小学校で1回、中学校で1回、高校で1回、大学で1回、知覧を見る・観ると立派な大人達が生まれる。
修学旅行生と思われる団体とも出会った。
2時間の滞在中、最後の30分余りは、特攻として飛び立ったが、不時着して生き残った88歳の方の語り部のお話が印象的だった。
終わるやいなや語り部をおっかけた坂本教授、年内に契約期限が来るので、50・60代に代わるのだという。
聞いて・聴いてくれる方がいるのでボランティアで生き甲斐を感じ、説明中で倒れても本望でないかと思う。
南九州市長殿、続けて語りべをやりたいなら続けさせて欲しい。
集合場所の鹿児島中央駅から知覧へ案内してくれ、鹿児島中央駅近くの次の視察先、「マコセエージェンシー」さんまで同社の素敵な女子社員にガイドを務めていただいた。
2回目の知覧で涙を出し切ったのか、みなさんに伝えるには涙を出さないと決めた私の決意の強さなのか分からないが涙はなかった。
が、
次の視察先では、涙をとめることを許してくれなかった。
修士2年の知野 進一郎です。
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