波紋風紋、朝日新聞の安井孝之さん

朝日新聞で好きなコラムがある。波紋風紋だ。
当日の写真のみfacebookで投稿させていただいたが、ゼミブロで2回分、再度、ネットから拾って投稿する。

障がい者雇用を命がけで取り組んだ大分県の「宇佐ランタン」さんの2回の波紋風紋だ。
安井さんの文章を味わい、考えたい。

(波聞風問)知的障害者の祭典 「多様性生かす」理想と現実 安井孝之
2016年2月28日5時0分

円形のパックが宙を飛び、ゴールネットを揺らした。シュートを打った選手はガッツポーズで跳びはね、拍手が起きた。

アイスホッケーに似た競技でカナダで生まれた「フロアホッケー」。戦ったのは知的障害者が集まったチーム同士である。

新潟県で12日から14日まで「スペシャルオリンピックス(SO)日本冬季ナショナルゲーム」が開かれた。知的障害者のスポーツの祭典だ。世界大会への選考会を兼ねる。

代表を選ぶ選考会だからもちろん順位はつくが、SOでは予選落ちはない。チーム力を予選で評価し、クラスに分ける。その中でそれぞれに順位がつく。全員表彰が基本である。

SOは米国が発祥の地。1968年から世界大会が始まった。フロアホッケーはSO向けに考案されたもので、キーパーを含め6人対6人で戦う。交代できるが、全プレーヤー(1チーム11人~16人)が同程度、出場することがルールである。

スタープレーヤーがすべてのピリオドに出たり、ベンチをずっと温めている人がいたりしたらルール違反になる。

優秀な選手を集めて勝てばいいのではない。能力も個性も異なる選手の力を、すべて使うことに重点を置く。

SO日本の理事長で五輪マラソンのメダリスト、有森裕子さんは「記録ではない。みんな頑張ったと記憶に残ることが大切なのです」と言う。

多様な選手を使うには工夫もいる。障害のある人たちを、シュートが得意な選手、決められた場所をきちっと守る選手などと持てる能力をきめ細かく評価し、全員が活躍できる場を用意する監督やコーチの創意工夫がなくてはならない。

今では多くの会社は、社員のダイバーシティー(多様性)が必要だという。同じような学校を出た人ばかり、男ばかり、日本人ばかり――という組織は、グローバル競争を勝ち抜けないという問題意識からだ。ただ、女性登用も緒についたところで、障害者雇用で法定雇用率(2%)を達成している会社はまだ半数。現実の歩みは遅い。

小欄で紹介したことがある宇佐ランタン(大分県)という知的障害者を多く雇用するちょうちんメーカーは、軌道に乗るまで十数年を要した。多くの会社は、理想は分かるが多様な社員を抱える手間ひまをかける余裕はない、と中途半端なまま終わってしまってはいないか。

14日の新潟大会閉会式では、次期開催地に大会旗を手渡せなかった。大半が企業と個人の寄付からなる約1億円の大会運営費や、延べ数千人のボランティアを準備できる自信が持てる地域が出てこないからだ。

理想を高く掲げるSOの現実は、企業社会を含めた日本社会の現実を映してもいる。

(やすいたかゆき 編集委員)


勤め人がちょいと一杯と集まる串カツ屋の軒先に、黄色いちょうちんがぶら下がっていた。
障害者雇用 ちょうちん製造、工夫輝く  2015年11月29日に掲載されている。

東京・大井町駅近くの飲み屋街。ちょうちんはサントリー「角ハイボール」の拡販商材である。昨年2月からのキャンペーン以降には全国の居酒屋に計2万5千個がぶら下がった。

製造したのは宇佐ランタン(大分県宇佐市)。年にログイン前の続き25万個以上をつくるトップメーカーだ。2年前の夏、サザンオールスターズの復活コンサートでも、宇佐ランタンのちょうちんが雰囲気を盛り上げた。従業員14人の会社だが、業界では一目置かれる存在である。

短い納期で大量生産する態勢を築いたことだけが、評価されているのではない。14人のうち8人は知的障害者を雇う。障害者の法定雇用率2%を大きく上回り、60%に迫る。

会長の谷川忠洋さん(77)がちょうちん製造を始めたのは1973年。妻と2人の家内工業だった。仕事が波に乗ってきた81年、福祉施設で働く知人に、障害者を雇わないかと打診されたのが転機となった。

谷川さんには障害者雇用で地域貢献するという気概があったが、ことは簡単ではなかった。

ちょうちんづくりは(1)型組み(2)生地張り(3)乾燥の3工程を、普通は一人でこなすので、覚える仕事は多い。ただ障害者を職場に受け入れると、一つの仕事に短時間、集中できることが分かった。谷川さんは3工程を分業し、流れ作業の製造ラインをつくった。

職人技が必要な型組みでは、作業が簡単にできる器具を、大分大学とともに開発した。自動化も進めた。仕掛かり品を楽に運べる装置を自社開発した。

今では健常者と障害者が同じ仕事をし、大量生産できるようになった。黒字が定着するまでに十数年の時間を要した。

「受け入れると決めたからには、意地でも黒字を実現したかった」と谷川さん。赤字の穴埋めに投じた私費が、一時は年間売上高を上回ることもあった。

障害者は正社員として働き、健常者とほぼ同等の給料を得て自立した。一方、障害者が働きやすい工場は、健常者にとっても楽に働ける職場だった。全体の生産性は上がっていった。

〈面倒だが雇ってあげる。仕事を教えてあげる〉。そんな思いが、知らぬうちに谷川さんに芽生えた時期もある。笑顔を見せていても、不良品が多い、とイライラしていたのだろう。

そんな時、「おっちゃん、こわい」と彼らに内面を見透かされ、「私の方に傲慢(ごうまん)さがあった」と気がついた。

「困難な現実は、よりよいシステムを考える力の源泉です」と谷川さんは話す。一人ひとりに個性があり、能力も違う。それらを包み込む仕組みは、新しい価値を生み出すと信じたい。

(やすいたかゆき 編集委員)

浪人1年間と法政大学4年間で朝日新聞の奨学生だった、修士3年の知野 進一郎です。

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