福岡県北九州市の「シャボン玉せっけん」

2014年4月に法政大学大学院に入学し、坂本光司ゼミに入学した。
ゼミ生中心の静岡サテライトキャンパスでの坂本教授の’中小企業論で矢部沙理織(結婚して垣内)さんと共同発表をした福岡県北九州市の「シャボン玉せっけん」。絶版の本をアマゾンで購入した。

来たかった会社だった。結果として3刷りとなっている「さらば価格競争」にも掲載されている。詳細はそちらに譲る。

1910年、明治43年、現・森田隼人社長の祖父が創業した100年企業。
1964年に隼人社長のお父さんの光徳さんがアメリカから輸入された合成洗剤に目をつけ、製造を開始し、時流に乗り、100人の社員を抱える時代もあった。
が、合成洗剤は自分の肌には湿疹を呼んだ。
1971年に旧国鉄から合成洗剤で洗った機関車はサビが付くので、無添加の石けんの試作を依頼され着手。

無添加石けんは、自分の湿疹もなくし、合成洗剤を流していた時は排水にはいなかった糸ミミズも復活して良さが分かっていた。
お父さんが40代前半で亡くなっても不思議でない状態で入院し、無添加の良さが分かっていたので、退院した日に会社に行った。
100名の社員の猛反対にあったが、合成洗剤は一切やめ無添加石けんに替えた。
売上は100分の1に激減、でも買ってくれるお客様からは身体が良くなった等の礼状が届き、その数十名のお客様がいるの信念で続ける。

社員は辞め5人になった社員も最後まで誰も残らなかった。新卒を採用、辞めていくの繰り返しだった。1期生か2期生で残った一人が専務。

ターニングポイントになったのは、お父さんが執筆して出版社にかけあって出版された絶版の「自然流せっけん読本」。
当時、湾岸戦争で油まみれになった黒い鳥の映像も追い風になのベストセラーに。売上につながった。17年間の赤字から脱却。

通販が80%までいったが、薬局等に「なぜ、シャボン玉石けんが置いてないのだ」の声にのり、今は直販は60強、通販は40%弱。

無添加の石けんの製造は1週間かかる。一般の石けんは100円だが140円。
洗眼の後、顔が突っ張ることはない。工場を見学したが、皆さん素手、手袋をしていないのも証拠になるだろう、

転職的離職率は数%しかない社員は114名、平均年齢は33歳代、40%が女性、通販の電話のオペレーターが主、アウトソーシングしない理由は、なぜ、無添加がいいのか等の質問が多いから。
彼女らが日常の勤務経験から自信を持った回答をするから。産休後は100%が復帰。

シャボン玉石けんのマーク「シャボンちゃん」。
お父さんが入浴中、黒澤明とロス・プリモスのラブユー東京の鼻歌で「シャボン玉のような」がヒント。
入浴中のアイデアが浮かぶ人は成功者には多い。寝ている、深夜2時くらいにアイデアの成功者も多い。

1974年妹が生まれ女の子になった。隼人社長なら男の子だったかも(笑笑)。

肌が突っ張る経験のある方は、
ネットで



お父さんの光徳前会長は、隼人社長が就任した2007年に喉頭ガンで亡くなられた。
昨日、紹介した24時間365日クリーニングの福岡市(博多)の「プラスアルファ」の小川社長は卵大の腫瘍を摘出したが良性だった。
喉が声が調子悪い場合は病院へ。

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