坂本ゼミの宝 服部さん

良く頑張ったと思う。

19日に法政大学大学院坂本ゼミの同級生、服部義典さんが45歳の生涯をとじた。

写真はお父さんの言葉。

2年9か月前に大学院入学時に坂本教授より服部さんは岐阜なので名古屋の知野さんに支えて欲しいと言われた。
最初の出会いは私も三度目の大病後の後、病気の辛さが分かっていたので、気が合った。
予定していたが、すぐ入院。私は服部さんの強さももらったのだろう。三度の大病後の方が元気だ。

復帰は夏からだった。心臓を始め臓器が左右逆。心不全が進んでいたので、覚悟は決めていた。
去年、教授が服部さんがカプセルホテルに泊まっているので普通のホテルに泊まれとの命。
服部さんからツインを取ったので一緒にと4度一緒に泊まった。
亡くなってから考えた。多分、服部さんは人生は一回なので障がい者が主の社員の社長だったので、自分よりも社員の給与を多くしたいと強い希望だったので安い宿をに負けないようにとのつもりだったと思う。
パソコン一つリュックに入れても呼吸量が40%しかないので大変だった。

1年前に3日間、生死を彷徨い復帰してからは大学院は休学だった。

11月4日の岐阜女子大学での90分の講義が最後になった。準備を精一杯やって渾身の講義だった。
入学時は、10メートルほど歩いて呼吸を整えていたが、講義の時は3メートル。

お父さんから危ないかもしれないと電話をいただいた後、服部さんのことで初めて泣いた。
覚悟をしていたので落ち込むことはないが時々、思いだし涙ぐむ。
ゼミ生の中にはかなり落ち込んだ人も多いようだ。

服部さんのことは、私たちが入学する前に先輩方が書いた、鹿児島市のラグーナ出版から出版された「幸せな職場のつくり方ー障がい者雇用で輝く52の物語」の48Pから掲載されている。
告別式には岐阜女子大学の三宅学部長に参列していただいた。
先約があったが他の先生に代わっていただいたようだ。
講義の機会を創っていただいたことと合わせて感謝したい。

葬儀は社長には内緒で葬儀の準備をしていたウェルテクノスの社員の皆さんが中心に立派に執り行われた。
障がい者に働く場を、車で服部さんと一緒するとアチコチに障がい者の働く場を創った。

元社員のお母さんの告別式の朝の投稿から

 今日は、4カ月前に退職した会社の社長の葬儀。。。

 本当に、お世話になった。
 自分よりもほかの障がい者のために、、、
 歩くのも、階段を上るのも本当にしんどそうだった。

 昨日の通夜、寒いのが苦手な彼らしくとても暖かい日の通夜でした。

 今でも起きてきそうな顔だった。

 小児がんの子供を抱えながらも10年勤務できたのも彼のおかげ。

 ゆっくりと暖かいところで休んでほしい。
 いろいろ迷惑かけた、本当にごめんなさい。
 出会って10年、一緒に障がい分野にかかわれたこと、感謝しかない。
 ありがとう。
 たくさんの方との出会いもいただいた。

 本当にありがとう。
 ありがとう。

葬儀には何人かの重度の障がい者の方も。
そして、
100人に1人が心臓病
服部さんの岐阜女子大学での講義の最初の言葉
この中に何人いるだろう。
 そんなことを思った。

服部さんの論文の要旨は、
特に外面からは分からない内部障がいの現状を分かっていただき、障がい者に職を国に分かっていただくこと。
坂本教授始めゼミ生は服部さんの想いを国に届けること。

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