山崎理恵さん

法政大学大学院 坂本 光司ゼミ、4月8日の今年度初めての授業で、坂本教授が「致知」3月号の山崎理恵さんの記事を配布した。

難病を抱える娘と生きて
高知市に住む山崎理恵さんは、ゴルツ症候群という難病の娘さんとともに、 様々な人生の山坂を乗り越えてきました。
今回はそういう山崎さん親子のお話の一部をご紹介します。
───────「今日の注目の人」───
☆ 苦しみの中で咲いた笑顔 ☆
山崎 理恵
※『致知』2017年3月号
※特集「艱難汝を玉にす」P34
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音十愛(おとめ)が誕生したのは二〇〇五年一月二十六日のことです。
山崎家の第三子。女児ならば音十愛と名前は決めていました。
土佐・高知の女性を象徴する「乙女ねえやん(坂本龍馬の姉)」にちなみ、音を感じ、愛で満たされた子供になるように、との願いを込めたのです。
誕生が近づくにつれて、家族の希望は大きく膨らんでいました。

ところが、出産後、音十愛はすぐに別室に連れて行かれたのです。
なかなか会わせてはもらえません。小さく生まれたので保育器に入れられているのだろう、きっとそうに違いないと自分に言い聞かせました。
山崎さん
二日目、看護師さんが寄ってきて、おっしゃいました。「お母さん、先生からちょっと話があるからね」「あっ、これはただごとではない……」
看護師さんのこのひと言に、私は凍りつきすべてを察しました。
 
医師からまず告げられたのは、音十愛に口唇口蓋裂(唇に裂け目がある病気)があり、両手首や足首などに先天性の異常があることでした。

頭を殴られたようなショックを受けた私に、医師はさらに……

※山崎さん親子が多くの人たちの支えを受けながら歩んでこられた感動の道のりは最新号の『致知』三月号でご紹介しています。理恵さんが地元の高知新聞に紹介された記事を紹介する。
この記事を見て応援するために、山崎さんからこんな記事をいただいた。

致知には、
三人を産んでくれてありがとう。この子は自分たちを選んで生まれてくれたのだから、一所懸命育てていこう
と言ったご主人は去ったようだ。

3歳の時に両親が離婚した私、母子家庭となったが、シングルマザーの我が子を想う気持ち、行動は凄いものがある。

勤務しながら、音十愛さんを含め三人の子供も育てる。
数年後に、楽しく働ける職場が見つかると信じる。

以下、高知新聞から。

過酷な日々を乗り越えて
 2015年11月、高知市内で開かれた重症児親の会のシンポジウム。パネリストの山崎理恵さん(49)は笑顔でマイクを握ると、ためらうことなく話し始めた。

 「3人の子供を育ててきました。シングルマザーです。仕事も育児も介護もしながらの生活です。一番下の子の名は音十愛(おとめ)。間もなく11歳です。生まれてから両目の眼球がないことが分かりました。口唇(こうしん)口蓋裂(こうがいれつ)で、手足にも奇形が。脳の発達は年数を踏んで状況をみないと分からない、そう言われて育ててきました」

 誕生時からの写真がスライドで映し出される。会場はかたずをのんだ。

 「一生のうちの半分以上はこの時期に涙を流したと言ってもいいほど、泣き暮らしました。五体満足に産んでやれなかった。罪悪感に悩まされました。一緒に死んでしまいたいと思ったことも何度かあります」

 だが、2人の兄姉(きょうだい)もいる。「とにかく頑張らねばということで、みなさんに背中を押されながら立ち上がるんですが、どうやって育てていけばいいんでしょう。本当にいろんなことが起こっていったんです」

 出産直後からの母子入院は2カ月半。その後も入退院の繰り返しで、6歳半までに計13回、延べ約560日を病室で暮らした。ミルクを飲ませると口と鼻から噴きこぼれるなどのため、鼻からチューブで入れる日が4年も続いた。見えないことから起こる自傷は激しく、耳は腫れ上がって血だらけ、体はあざだらけ。昼夜を問わず泣き暴れるわが子。抱き締めてなだめるしかなかった。

 来る日も来る日も小児科、眼科、耳鼻科、口腔(こうくう)外科、形成外科、リハビリ部門を受診した。「子供は車の中で泣き続けるわけです。着いて、待って、診てもらうのは10分か20分。夜も眠れず、治療、訓練で疲労困憊(こんぱい)です。母子入院になるので、上2人は主人に預けっ放し。寂しい思いをさせてしまいました」

 5年目、音十愛ちゃんの体調が落ち着くと今度は夫が心身の不調をきたし長期の休職が繰り返された。理恵さんが働き始めるが、次第に歯車が狂い、2015年春、家族は二つに別れてしまった。そして2カ月後、理恵さんも心身が参って動けなくなる。最大のピンチ。だが、天は見捨てず、今がある。

 淡々と話すこと30分。最後の写真を前に理恵さんは言った。「見てください。こんなにすてきな、宝物のような笑顔になりました。笑ってくれる日が来るなんて想像もできなかった。関わってくださった方々のおかげです。子供って可能性があるんだなと感じます。だから、在宅の生活が光り輝いて楽しくなるように、サービスが充実してくれるように心から祈ってます」。涙ぐみながら訴えた。

 30分間に凝縮された壮絶な人生。母はどれほど眠れぬ日々を過ごしてきたのか。全盲の重複障害児の親子の11年間を追い、高知県の在宅福祉事情を考える。
    (高知新聞 編集委員・掛水雅彦)

知野、日本でいちばん大切にしたい会社大賞受賞式の素晴らしい障がい者雇用をされている、福島市のクラロンの田中須美子会長の受賞スピーチも涙涙で会場は静まり返ったことを思い出す。

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