高山市の伝統ある企業にお二人の若い後継社長を見た

1年前

先週の8月9日、法政大学大学院 坂本光司教授、瀬戸ゼミ長と共に、私が執筆する「地域に優しい会社 地域の活性をめざす(地域おこし、地域貢献)(仮称)」で岐阜県高山市のミチナル株式会社を訪問した。
6月7日に訪問したが、山下喜一郎社長が不在であり、今回は山下社長に取材させていただいた。

同社は、1925年創業の親会社山一商事の子会社であり、昨年11月に設立された。きっかけは、8年前、高山市のほうれん草の生産量は年間で5毛作となり、市町村単位では日本一だが、3割ほどは規格外や端材で処分するのにお金を支払ったりするのに疑問を持ったことだった。

昨年11月に興したミチナルは、東北地方に作る予定だったが、5年前の3.11東日本大震災が数か月後に山一商事の社長になる山下の運命を変えた。

混乱する中、目の前の人々が一番必要なモノは何かを考えた。食料は届いている。住み暮らす建物だった。
ビジネスは好きなものをやればと言われるが、山下は必要なものを提供していきそれが好きになればと考えた。

ほうれん草が主だがトマトやピーマン等も手がけている。
雪の高山の冬の間は、愛知県の知多半島や渥美半島等近隣の野菜を考えている。
出版社の意向に合えば出版となる。数か月後、楽しみにして欲しい。
坂本ゼミ生は、他にも19社をグループで取材する予定だ。

坂本教授、4年生の法政大学経営学部を卒業後、現場の企業視察をライフワークとしてきた。
今でも経営学会は、業績・シェア・ランク等を重視するが、坂本教授は4年間の学びとは真逆の「社員とその家族をいちばん大切する経営」に辿り着く。企業の現場を重視する。その数は7500社を超え現在進行中だ。
10社に1社は社員とその家族を大切にしていると言う。

山下社長に、ミチナルさん訪問後の高山市のいい企業の紹介をお願いした。

高山市で駿河屋魚一さん等の5店舗を展開する昭和8年に創業している。
私は愛知県なので年末に塩ブリがテレビで放映されるが、中心的な塩ブリだ。

塩をふるのもブリを一切れずつ切るのも、魚一で社長始め3人だけだ。
亡くなられた創業者が16歳の時に北海道に向かう途中、静岡県清水で荷物をだまし取られ、10日間飲まず喰わずで、弁当をいただいた命の恩人のつてで干物屋「駿河屋」で働くことになった。
「海沿いの仕事場から見える富士山が大好きでした。」

私は前日、飛騨古川で泊まり、当日の午前中は、古川の茶店で2社の会社の概要や質問の確認をしていた。
茶店で駿河屋と競合店について、3人の近くの経営者らしい人に聞いた。競合店は安売りが売りで駿河屋さんより売上が上らしい。

教授と瀬戸ゼミ長を高山駅で迎える前に。駿河屋の古川店と高山駅に近い本店と競合店を10分ほどて見た。
駿河屋は店員・スタッフには笑顔があるが競合店にはない。駿河屋はお客様が行き来し易いように導線が広い。
ウナギは三河一色産で焼き方と60円の秘伝のタレは絶品だ。

帰宅した翌未明、駿河屋をネットで調べた。
「駿河屋賀兵衛(かへい)」を探し出し、駿河屋の溝際社長に伝えた。
当たっていると、駿河屋魚一の創業者、亡くなった溝際一男がお礼をするために探せなかった恩返しをすることになる。

月刊誌「商業界」の6月号の表紙は商業界のチラシ・DM大賞を受賞した駿河屋魚一の亡くなられた溝際一男創業者の写真だ。中に記事がある。
9月の商業界には坂本教授がミチナルさんを紹介している。
教授は月に4誌に寄稿している。商業界以外の3誌のいずれかに掲載されるであろう。

高山市の伝統ある企業にお二人の若い後継社長を見た。

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