私より若い桝谷光洋先輩の投稿から

法政大学 大学院 坂本 光司ゼミ、坂本先生が70歳で3月に退官する。最後の夏合宿、視察、私より若い桝谷光洋先輩の投稿から。

合宿では、現場で学ぶが、移動のバスの中でも参加者から各自の感想が共有され、なるほど、そういう見方もあるのか、学ぶことが出来る。Facebookの投稿でも学ぶことばかり。ゼミのみなさん、特別参加の経営者にも感謝したい。3年半の学びは大きい。

桝谷先輩の投稿。写真は主なものとした。

法政大学大学院 坂本研究室 夏合宿(北海道)メモです。

アイワードさま (写真1枚)
昨年50thをむかえた印刷製本業。
奥山社長に2.5時間にわたって内容の濃いお話を伺いました。
石狩工場見学では、特にブック事業ではai搭載した最新設備が印象的でした。
さらに断裁した紙ゴミはほぼ自動的にエアーダクトに吸引され工場内はゴミゼロを実現。
柱のない広い工場は、設備やラインを導入・変更しやすく、床はあえて小学校のような木にしています。
製本エリアでは13名の障がい者が働き、正社員と同じお給料なんです。

社内の仕組みとして、社員は毎日その日の終わりに感想などを入力する事が義務。前社長が毎日すべてに目を通し、一枚の社内報にして毎日発行しています。現在約5200号。ずっと続けたい取り組みだとおっしゃっていました。

特殊衣料さま(写真7枚)
リネンサプライ、清掃、福祉用具の開発製造、
社会福祉法人では就労移行事業、アートギャラリーを主な事業としています。
社員180名中27名が障がい者、若者支援(引きこもりやニート)5名。

池田社長は、創業者であり叔父でもある先代から“経理を手伝わないか?”の一言で会社に関わり始めた経歴です。
優しさと思いにあふれた社長で、その思いは社内に行き渡っているように思いました。
このような経営のあり方は女性ならではですね。

福祉用具では、てんかん発作のある社員をきっかけに開発した頭部保護帽や、高齢者や片麻痺を擬似体験できる“まなび体”があり、企業の社員教育などにニーズがあります。

短い時間でのご訪問でしたが、社長始め皆様に感謝です。

あと2日は赤平と帯広を回っての視察です!

法政大学大学院 夏合宿 2日目メモ

北海道光生舎さま

ある男性 高江常男氏
昭和2年、北海道の赤平に生まれる。
10才の時、竹トンボの事故で右目を失い義眼に。
友達にいじめらた息子を思い悩んだ親は、奥尻島の漁師に預け、漁師を目指させた。
しかし男の子は船酔いの度に海に放り込まれ、なんとか努力するが克服できず赤平に戻る。
15才、電気技師の資格をとり電気屋に職を得る。
17才、軍が飛行場を建設するため山奥の電気工事に出かけ悲劇が襲う。
流れていないはずの電流で両腕を失う。
高所から転落したが深い雪の上に落ち命は助かる。

絶望

19才、自ら命を絶つために吊り橋へ行く。しかし、“失うものはもはやなにもない。命懸けで生きてみよう”と自殺を思いとどまる。

現実の世界は辛い。
時代は第二次世界対戦。
父は戦争へ。
身の回りの面倒をみてもらえる人がいない。
着替え、トイレは一人でできない。
兄夫婦のお嫁さんには申し訳なく世話になれない。トイレは必死で我慢する毎日だった。
父には早く戦争から帰って来て欲しかった。

なんでもいい。職を見つけなければ生活できない。
文字なら書ける。口に筆を加え小説家を目指す。
こんな体では長くは生きられない、医者にも言われた。
長くない人生なら1日3時間の睡眠で猛烈に努力しなければならない。
収入を得るには文筆業しかない。
7年間続けた。
友人のつながりで新聞記事を書く仕事がやっと見つかった。嬉しかった。

ふと気付くと炭鉱の町だけあって回りには事故で自分のように不自由な人が多い。
自分だけでなく、なんとかみんなの生きる道を探したい。
企業を回って採用をお願いしても限界。

自分で事業をおこすしかない。
1年かけて事業計画を作った。
ほとんど却下される案件が多い中、銀行から融資が承認された。

ついに北海道光生舎の前身が誕生。

しかしこのあとも苦難続き。考えられない外圧もあったようだ。
クリーニング業を軌道にのせなければ。
自身は無給、新聞記事を書き続けることで収入を得た。10年続けた。
原稿は深夜1時までに赤平駅まで届ける。奥様も駅まで急ぐ。真冬は辛かった。

北海道光生舎はさまざまな障がいをもつ障がい者がクリーニング業に従事できるよう作業分解を実現した。
恐らく日本初だろう。

後に妻となる女性 
赤平近くの病院に妹さんが働いていて、時々会いに来ていた女性。
札幌の食堂で働いていた。

二人は知り合う。やがて結婚する。

“常男さんは夢を語る
目がキラキラしている
人間はこんなにも目がキラキラするんだ”

そんな常男にひかれた。
“私がこの人の手の代わりをすればいい”

それは二人分の人生を負うこと。
この男性を自分が一生面倒みようと決断した。

今回、現在85才になった奥様に直接お会いした。
障がい者の生活を支え続けた。
粗末なものは一切食べさせなかった。
約200組の結婚を実現。
障がい者同士の結婚を案じて反対する親を何度も通って説得したこと、今ではすべてが嬉しかった思い出だとお話された。
すべては障がい者のために。

6年目の大学院で一番強烈な訪問となりました。
障がい者が住む場所、日々の生活、身体だけでなく知的や精神にハンディをもつ人達、生きる喜び、すべてを支える存在。
もはやクリーニング業や社会福祉法人の域を超え、存在自体が無限の価値を有していました。
一緒に訪問した多くのゼミ生が涙。
二度とない経験でした。

関係者の皆様に感謝。
(新千歳空港に向かう列車にて)

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