亡くなった車椅子、松本市長、壮絶だった。再来を望む。

大会社は、社長4年、会長4年のサラリーマン化し、社員は働きがいもなく、生き甲斐いもなく、ダメにしている。

行政も4年、8年、12年、16年、と、食っていくためと名誉欲の首長がほとんどかもしれない。

亡くなった車椅子、松本市長、壮絶だった。再来を望む。

2年前、亡くなられ弔い合戦に負けた。

残したものは大きい^o^

全国に812名いる市長で、車いす市長は長崎県の大村市の松本崇市長だけだ。

国、地方共に、年々、借金を増やす中、黒字経営だ。
自治体、企業に関わらず参考になる。

1.トップとして現状を把握する。
 何が原因か掴む。
 大村市、夕張市と同じように財政再建団体になる寸前だった。松本の市長の復活2期目に黒字に。

2.その対策を考える。

3.市役所の職員に1と2を話す。または、1のみ話し、職員にも考えてもらう。

4.市民に正直に公表する。

5.夢と希望のある施策を公表し黒字まで、耐えることを依頼する。
 松本流では、「方向性を示す、先見性を示す」、確約する。
 中期は10年、長期は25年を考える。

経営者向けの研修会で時々、経営者からこんな質問がある。
「経理を(会社内に)公開しなければダメですか。公開したくないのですが」。
講師は優しく回答するが、いい会社には永遠になれない。
見栄や保身にこだわっているからだ。人間は霊長類で、会社だと社員、市だと市民、職員に本心を見破られる。トップとしての覚悟がない。

松本市長の具体策。
①日本で最初の大村競艇場(モーターポート)
 当初は黒字で大村市の財源だが、赤字に転落。
 松本市長「親子で、女性も楽しめる明るい競艇場に」、多額の投資をして変える。
②職員定数1030人から50人削減、市長始め職員の給与も減額した。
③企業誘致をした。
④大村市民病院の黒字化を果たした。
⑤2020年の予定で長崎新幹線が大村市にも停まる。
・・・。

松本、覚悟を決め必死だった。松本を信じ「3年あれば黒字にしてみせます。もし達成できなかったら私は職を辞します。」と宣言した職員、食道ガンで壮絶な死を遂げた話も涙で感動した。(松本崇著「負けてたまるか」194~197P)

ほとんどの首長選挙で、候補者は「何年後には人口がこの位減少するのて゜、この施策をする」と言う。
「こう減少する予測があるが、これを増やすとか、ここまでの減少にとどめる、こういう施策をする。」と言う候補者がほとんどいないようだ。

松本、平成22年の市長選挙前に、「多発性筋炎」という難病で車椅子市長になる。

自分の教え子候補から、「多選反対」と「身体の自由がきかない者に政治ができるか」と攻撃を受ける。
政治の世界はここまで醜いか。

昭和16年、後に大村市長となる父と、九州初の女性議員となる母の次男として産まれる。
選挙で負け続けた父、金がなく貧乏だった。

戦後、疎開先の母の故郷、静岡から大村市に戻り5歳の時に蛇に噛まれ毒が回り生死を彷徨った。
「一度は失いかけた命、それならば生あるうちに何でもやってみよう」というプラス思考をする。
慶応大学を3度目の受験で入学する。社会学を専攻し英会話学校に通う。後日、役立つ。学資に苦しみ朝夕の新聞配達をやった。

アメリカ留学に憧れ、米国スタンフォード大学の交換留学生の狭き門を突破し渡米、元総理の麻生太郎と出会う。

この留学がアイデア市長の糧となる。帰国後、憧れていたマスコミへの就職はすべて不採用。国際基督大学行政大学院に進み、緒方貞子に指導を仰ぐ。
三島由紀夫とも会い「君は政治家に向いていると言われ」励みとする。

大学院卒業後は政治家を目指していたが博報堂に28歳で中途入社する。
中近東へ飛ぶ。マーケティングやキャッチフレーズに生きる。

博報堂を退社して長崎県議選に昭和50年に初出馬するが惨敗。
すでに先妻敬子と婚約していたが収入0だった。それでも敬子は結婚したいと。
英会話塾で成功する、死にものぐるいで働いた。

そして昭和54年に再出馬しトップ当選する。「緑の風を県政へ」が決めてとなった。
2期目もトップ当選!

54歳の当時の大村市長が脳梗塞で倒れ、昭和61年に同じ自民党の先輩との一騎打ちの市長選になり、「45歳の行動力」のコピーで当選。

その後、政界のいろいろな事があり反感を持つ者の策略により、平成6年長崎原爆の日に収賄容疑で逮捕。

逮捕後、拘置所に、片道1時間かかる敬子がたびたび面会に来た。
敬子が情緒不安定になっていく。出所後、敬子の手料理に舌鼓を打つ。家族を養うために東京に出稼ぎに出る。
敬子が自殺未遂をする。
うつになり何度か自殺未遂する。平成8年についに自殺する。
3か月後に元気だった18歳の次男が心臓麻痺による突然死に遭う。

罠の逮捕がなかったら敬子と次男の死はなかったと思う。

松本、無実であったが、長崎地裁と福岡高裁で有罪判決、最高裁まで争うと政治家の生命がなくなると、やむを得ず上告しなかった。

その後、後妻の文子と出会い、平成12年に再婚する。松本57歳、文子49歳であった。
初対面、松本はぞっこんであったが、文子の印象は良くなかった。
が、翌日以降、毎日のように逢う。

再び喰うために英会話が役に立つ。結婚式半年後に結婚披露宴を開く。お祝いに駆けつけたのは150名で上々と思っていたが何と450名。
平成14年の市長選に出馬する決意を固める。

相手は2期を努めた落ち度のない現職。激しい闘いとなる。色々な嫌がらせを受ける。相手方のスパイも潜入していた。

奇跡の5000人集会に4300名が集まった。
相手方は計算ミスをする。相手方の総決起集会に顔が割れていない文子の息子に行かせた。
始まって、松本の逮捕時のビデオが流された、これには大村市民もかなり退出する。
平成14年9月に当選して現役だ。

信念の松本市長と坂本先生とゼミ有志との面談。
最後に「前年よりも小さくても上がっていけば良い」、行政の年輪経営だ。

政治の醜さがなくなった大村市。
大村湾の美しさ、
市民の心の清らかさを写している。

あたらめて涙、涙、涙。

私が知る限りでは、静岡県の西原市長が見事だ。こういう方は引き際も見事だ。もう一期は出来るが10月29日に勇退する。

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