衛生対策のイカリ消毒①「絶望」

ネズミや虫、菌などの有害生物の防除など衛生対策のイカリ消毒(東京都渋谷区)を坂本光司教授、アテンドしてくれた今井兼人氏ら研究室の仲間とともに訪問しました(9月29日)。
 新宿高島屋の南に位置し、新宿御苑などが見下ろせる新しいビルに本社を移転したばかり。仕切りがなく見通しが良いワンフロアーのオフィスで多数の社員の皆さん、そして黒澤眞次(まさつぐ)代表取締役会長、黒澤学常務取締役に迎えて頂きました。
 黒澤会長(以下、黒澤さん)からは、人生のどん底から再起して今日に至るまでのお話をお伺いすることができました。
 5歳の時、家族7人で満州から奇跡の生還、父親は戦後、千葉港に入る船の防疫・消毒で創業します。社名のイカリは錨からきています。ところが父親は急逝、兄弟3人で事業を承継することになります。その翌年、同社アルバイトの喫煙が原因で戦後最大のデパート火災を引き起こします・・・。
 黒澤さんのお話はそのデパート火災から始まりました。今回の報告は、3日連続で詳報します。1回目は「絶望」。(メモは研究生/中小企業診断士 神原哲也)
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イカリ消毒株式会社の黒澤眞次(まさつぐ)代表取締役会長は、1963年のデパート火災について当時の貴重な資料を交えながらその経緯を丁寧に説明しました。
 同社は当時、そのデパートの消毒作業を請け負っており、7人が作業をしていました。休憩中にアルバイトがタバコを吸うためにマッチで火を付けたところ、その近くに害虫駆除に使用する4リットルの殺虫剤に引火、さらに近くで塗装事業者がシンナーで作業をしており、火が一気に広がりました。
 午後0時すぎに7階の食堂前で出火、鎮火したのは午後10時頃。8階まで燃焼しました。当時はスプリンクラーが義務付けられていませんでした。100台の消防車が出動しました。しかし、はしご車は7階までしか届きませんでした。
 当日はデパートの定休日でしたが、イカリ消毒の技術責任者1人とデパートの厨房スタッフ6人が死亡、重傷者が130人にのぼる大惨事になりました。なぜ、出火したのか。原因は我々経営者や現場の従業員の無知が原因でした。具体的には危険物取扱主任者がいなかったことです。
 兄弟は急逝した父の事業を引き継ぎました(次男の黒澤さんも20歳)。そして消毒事業を再開したばかりでした。危険物取扱の資格があるとも知りませんでした。(4日アップの②「再起」へ続く)

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