株式会社こんの 紺野道昭社長

大企業に勤務して高い報酬を得るか

中小企業に働いて引き続き勤務するか

各々の考え方と思う。

64歳の私、定年退職までTKCさんにお世話になった経験から言うと、定年で3~6月間は身体を休めて引き続き勤務するか、他の会社に行くか、起業するか、悠々自適の生活をするか。考えても良いと思う。

2年前に同級会に参加し、定年後まで、働いているが社長のことは良いことを言ってなかったので、辞めて、他社へ行くように言った。

私のように社会人大学院に行くのも良いと思う。

「日経トップリ-ダ」に福島市の「こんの」の紺野社長と岩手県二戸市の「小松製菓」の小松社長が登場した。

紺野社長

TKCさんが発行する戦略経営者に登場している。

セミナー採録 株式会社こんの 紺野道昭社長
2016年04月27日 14:08戦略経営者
(戦略経営者)

社員の働くモチベーションを高め地域で愛される会社をつくる

福島県福島市に本社を置く「こんの」は、古紙などの再生資源を卸売りするリサイクル企業。
3代目の紺野道昭社長(49)は、先代からの事業承継、古参の社員との確執などの苦難を乗り越え、こんのを地元を代表する優良企業に育てた。
その原動力になったのが、社員の人間力向上を目的とした多種多様な研修、社内イベントの開催、地域貢献活動などの取り組みだった。
今年2月、「中小企業大学校東京校・経営後継者研修(※)OB合同研修会」で紺野社長が講演した内容を採録する。

◎プロフィール
こんの・みちあき●株式会社こんの「従業員の幸せ向上担当&代表取締役社長」。
1967年3月、福島県福島市生まれ。2年間の会社員生活を経て、25年前にこんのに入社。
2000年、社長就任。趣味はネクタイ収集とラグビー観戦。

古紙リサイクルを通じ森林資源保護に貢献

 私の肩書には、代表取締役社長のほかに、「従業員の幸せ向上担当」というものがあります。
文字通り、従業員全員を幸せにすることを心に誓って日々、経営をしています。
 本社は福島市にあって、ほかにも北海道や宮城県、そして関東地区(埼玉、都内)に営業所があります。
関連会社のアイクリーンを含めて現在、従業員が154名います。
仕事の内容は、再生資源卸売業。
年間18万トンの古紙を収集して、再生紙の原料として製紙メーカーに販売しています。
紙1トン作るのに30年ものの立ち木が20本必要といいます。
私たちが収集している古紙を換算すると、千代田区の面積と同じくらいの森林資源を保護していることになります。
むかし私が小学生の頃はぼろ屋の息子、くず屋の息子と呼ばれていました。自分としてはいい仕事をしているつもりですが、まだまだ不人気産業であるのは確かです。

男性社員はパンチパーマ荒くれどもの集団だった

 さてここから、なぜ私が従業員の幸せ向上を願うようになったかをお話していきたいと思います。
 私が2年間の会社員生活を経てこんのに戻ったのは、今から25年前のことでした。
当時の男性社員はみんなパンチパーマ。
メガネは斜めになっていて、エナメル靴のかかとを踏んでいるというのがお決まりの格好で、それがわが社の制服制帽のようでした。
いっそ社名を「紺野組」にしたほうがいいんじゃないかという感じでした。
無断欠勤やケンカは当たり前。

ぶちきれた社員がフォークリフトで建屋に突っ込んでくるということもありました。
とにかく今では想像がつかないほど気性の荒い、荒くれどもの集団というイメージでした。

 そんな社員をひとつに束ねていたのが、先代の父でした。
社員に向かって「あつかうものはくずでも、心までくずになるな」と口癖のように言っているなど、仕事には厳しい父でしたが、社員旅行や懇親会の場では率先してみんなを喜ばせたり、楽しませたりしようとする社交的な顔を見せていました。だから従業員たちからは慕われていました。

 入社してからの私はというと、無断欠勤した社員の補てんに入る毎日で、朝早くから夜は次の日にならないと仕事が終わらない。
3時間くらい寝たらまた会社の生活で、どうして会社を辞めなかったのかと今でも不思議なくらいです。
 その後、父から事業承継して私が社長になったのは15年前。
父は会長に就任しましたが、私のやることすべてに反対し続けました。
古参の社員からは「会長の部下だが、社長の部下ではない」とはっきり言われたこともあり、父の時代から働いている人たちとの関係は最悪の状態でした。

そんな環境の中でとにかく私は「なめられてはいけない」と、必死にトップダウン型の強い自分を演じていました。
でも社長に就任してすぐの決算では、過去最悪の赤字を出すなど、業績はぱっとしませんでした。社内で私はだんだん孤立していきました。
 このままでいいのか、会社を変えたい、自分を変えたい──。それをなし得るきっかけは、体調を崩して入院したときにふと手にした本にありました。
その本に感銘を受けて以降、本を読む習慣が生まれるとともに、自分にとって必要だと感じた勉強会やセミナーにも足を運ぶようになりました。
少しずつ自分の考えや行動に変化が生まれ、よいと思ったことを会社の中に取り入れるようになりました。
従業員が勉強できる場をつくって、「社員教育」に力を入れるようになったのは、この時期からでした。

古参の社員たちと膝詰めでの話し合い

 しかし父からは「無駄なこと! そんなことをするなら仕事をしろ」と怒鳴られるだけ。
古参の社員も、私が何をしたいのかよくわからなかったようで、あるとき「社長と社員で話し合う場がほしい」と言われました。
私は下戸でお酒が飲めません。
だから、会長とは違って、お酒を通じて社員と親睦をはかるようなことがあまり得意ではありませんでした。
その反省もふくめて、社員からの要望に応えて泊まりがけの合宿で社員たちと膝を突き合わせて話し合うことにしました。

 そこでは、会社に対するさまざまな不平不満が私に浴びせられました。そして社員から一つの質問をされました。
 「社長にとって社員はどんな存在ですか?」
 唐突な質問に戸惑いましたが、そのとき私はこう答えました。
 「社員は宝だよ」
 思わず反射的に口にした言葉でした。
それが社員にどう伝わったかは、私にはわかりません。
ただこの言葉は「社員と私との約束」のようなものだと捉え、「心からそう思って行動できるようになろう」と胸に誓いました。
すると不思議なもので、社員との距離が少しずつ近づいていきました。

 あるときベテランの役員からこんなことを言われました。
「会長時代はいかに商売で数字を出すかに重点を置いた体制作りをしていましたが、社長は継続的に発展する基盤となる『人財育成』に力を入れようとしているんですね。
私からも会長に人財育成の大切さを説明しますので、一緒にがんばりましょう」。
この言葉を聞いたときは心底うれしかったですね。

 それから本格的な社員教育に取り組むことになりました。
少しずつ会社の雰囲気も変わっていき、顧客、取引先、地域の方々からの評判にも変化が出てきました。
さらに業績も伸び、2013年には過去歴代2位の売り上げを達成することができました。
 しかし、このころ父は体調を崩して闘病中でした。
決算報告のために病院に向かい、自信満々で父に報告しました。
ほめてもらえると心の中で思いながら父の言葉を待つと、「足りないな」の一言。
結局、ほめてもらうことはできませんでした。

 翌年、父は他界しました。いまにして思うと父の厳しさは、私をよき経営者にするための「帝王学」のようなものだったのでしょう。
父を失ってからそのことに気づきました。焼香に来てくれた父の友人によると、本当は私の成長を喜んでくれていたそうです。
父の友人が私のことをほめたとき、父は満面の笑みを浮かべていたといいます。

「掃除」で感謝の心を教わった貴重な体験 

 これまで述べてきたような経緯から、私は従業員を宝とみなし、みんなが勇気と活力を持って働ける会社にしていくことを自分の役目だと思うようになりました。
その実際の取り組み内容についていくつかご紹介します。
①多種多様な社内イベント
 たとえば、毎年1月の第2日曜日に「新春の集い」という名称で、北海道から東京までの全社員を集めた社内イベントを開催しています。
「最優秀社員賞」の表彰が大きな目玉で、受賞者にはチャンピオンベルト(宝石以外は本物)を贈呈するとともに、家族を突然ステージに登場させるといったサプライズも用意しています。

②社員研修
 質ではなく、量なら日本一という自信があるほど研修には力を入れています。
私自身が講師を務める新入社員研修のほか、会社全額負担で優れた企業を見学(ベンチマーク研修旅行)に行くことも研修活動の一環です。
全国のさまざまな会社を訪問しましたが、なかでも印象深かったのが伊那食品さん(長野県伊那市)。
従業員のみなさんの車が等間隔にきれいに並んだ駐車場を見学したりするうちに、50期以上増収増益を続けているのも当然の結果だと思えてきました。

③掃除に学ぶ
 イエローハット創業者・鍵山秀三郎さんの薫陶を受け、地域の清掃活動(きれいにし隊)を社員教育の一つとして行っています。
 鍵山さんの講演を初めて聴きに伺ったのは、社長に就任してあれこれ悩んでいる時期でした。
どうすれば会社を変えられるかと、わらをもつかむ気持ちで行ったのですが、90分間の講演時間中、話しているのは掃除のことだけ。
「掃除で簡単に会社が変えられるものか」と半分、問いただすような気持ちで講師控室の鍵山先生のもとをたずねたところ、一度イエローハットの本社(当時、東京・目黒)に遊びに来てはどうかと誘われました。

 約束した日の朝7時に伺ったところ、目黒川沿いをともに歩く形でマンツーマンで掃除の手ほどきを受けました。
排水溝のふたを開けての掃除のほか、極めつけだったのが、公園のトイレの掃除。
便器が黄ばんだすさまじいトイレでしたが、鍵山さんは素手素足でスポンジを片手にごしごし磨いていく。
自分だけが黙って突っ立っているわけにもいかず、頭を便器に突っ込んで90分間くらい磨いていたら、真っ黄色だった便器が真っ白になった。
気づけば私はボロボロ涙を流していました。
掃除がいいんじゃないんだと。掃除を通じて謙虚さや感謝の気持ちを抱くことが大事なんだと。この気づきは、それから会社がよくなるきっかけになりました。

④残業ゼロ
 現在、1人当たりの月間残業は1・4時間(全社平均)。10拠点中、5拠点が残業ゼロを実現しています。

⑤手書きのバースデーカード
 社員全員に手書きのバースデーカードを出しています。また、子どもが生まれた社員の自宅におむつを届けたり、新卒社員の卒業式にお花を届けることもしています。

⑥カフェこんの(社員との対話)
 私はお酒が飲めないため、コーヒーを飲みながら社員と「対話」する時間を大切にしています。
社長室に社員を呼んで、会社を今後どうしていきたいんだ、何のために働くんだという話し合いをしょっちゅうやっています。
最近は社員のほうから来てくれることも増えていて幸せです。ただ先日、社長室に4時間も居座る社員がいて少し弱りましたが……(笑)。

 この他にもさまざまな取り組みを行っていますが、「第5回日本でいちばん大切にしたい会社大賞・審査委員会特別賞」や「第1回ふくしま産業賞・特別賞」といった、各種企業賞を受賞できるようになったのは、これらの活動を通じて周囲からよい会社だと認められるようになったからだと思っています。

※「中小企業大学校東京校・経営後継者研修」
独立行政法人中小企業基盤整備機構(中小機構)が、国の中小企業施策の実施機関として中小企業の人材育成を支援することを目的に、全国9カ所に設置・運営しているのが中小企業大学校である。
東京校では、次代の経営者を目指す「経営後継者」に必要な基本的能力や知識を実践的に習得できるカリキュラム・研修を用意。それを受講し、卒業生となった人が参加するOB合同研修会も定期的に開催している。

戦略経営者
『戦略経営者』は、中堅・中小企業の経営者の戦略思考と経営マインドを鼓舞し応援する経営情報誌です。
1986年9月「TKC全国会」に加盟する税理士・公認 会計士の関与先企業(現在約76万社)の経営者を読者対象に創刊されました。
TKC会員税理士約10,000人が現場で行う経営助言のノウハウをベースに、独自の切り口と徹底した取材で中小企業経営者にとって真に有用な情報だけを厳選して掲載しています。
本誌を発行する株式会社TKCは、TKC会員会計 事務所とその関与先企業、並びに地方公共団体向けシステムを開発・提供しています。

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