埼玉県草加市の赤爺、山元証さんの投稿。鋭い。

草加煎餅の故郷、埼玉県草加市の赤爺、山元証さんの投稿。鋭い。
政治屋が政治家にならないと思う。

それを選んだ国民にも問題はあるが、投票用紙に信用できる候補者がいないを設けて、投票数の三分の一が信用できる候補者がいないとなったら議員報酬は半減するという制度が必要だ。

愛知県長久手市の私の選挙区。過去に学歴詐称で二人の国会議員が辞職。
私は投票しなかったが、昨年当選した議員も。
呆れた選挙区になり候.

鋭い赤爺の投稿。

信用と信頼

最近、政治家の信頼を取り戻す!
と言う表現を与野党共に良く聞く。

信頼と言う言葉に私は違和感を感じる。

似た言葉に信用がある。

1.信用

信用は過去からの数値的実績による成果物ととらえられる。

仕事の関係で信用を積み重ねるのは容易くはないが、失敗に依って一夜にして信用を失う事もある。
相手に物質的損害を与えると取引中止にもなり兼ねないからだ。
多くの人は取引に依って生活の糧を得ているので信用の二文字の意味は大きい。

2.信頼

対して信頼はどちらかと言うと概念的なもので、未来に向かっての相対するものへの期待を持った感覚である。

3.議員の言う信頼とは?

今の政府や官僚に信頼を再び!と言うのは多少無理がある。
国民は税金と言うコストを国に支払い、費用対効果を監視している。

それに欠陥があるなら先ずは、信用を回復する為に回収した税で国民に乗数理論が示すような国民の投資の数倍の富と幸せを返せる数値的効果を示す必要がある。
それこそが信用と言えるのではないか?

野党の人々も民主党政権時代に経済をどん底に落とし、失った信用をリカバリーする数値的根拠を示さない限り真の意味での信用回復は得られないと思う。

積み重ねられた信用の無い場所で国民と為政者の取引は成立しないのが本来の在り方だと思う。
即ち信頼まで行くことは無い。

私見ですが例えばゲーム理論のような中で古から為政者は部下に寝首を掻かれるような事を繰り返してきたので多くの議員に取って信頼と言う概念は基本的には無いのだと思う。

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