外国人労働者受け入れ拡大に思う。

深刻な人手不足に対応して、政府が6月に外国人労働者の受け入れ拡大を表明しました。これまで「単純労働」とされる分野での外国人就労は原則禁止されていましたが、新たな在留資格を創設して「建設」「農業」「宿泊」「介護」「造船」の5分野を対象に、新設する「特定技能評価試験」(仮称)に合格すれば就労資格を得られるようになります。
この政策が日本人の嫌がる仕事を外国人に押し付けると言った構図であれば、根本的な問題解決には至らないような気がします。

そんな中、3月に当学会員である「ウィズワークス株式会社」の高橋さんのご紹介で愛知県海部郡にある「株式会社丸宗」と言う会社に訪問させて頂いたときの話を思い出しました。

丸宗は名古屋港に近く、港湾関係の仕事に携わってきた歴史から主に海外に輸出する産業機械、工作機械、工場設備などの輸出梱包がメイン業務となっております。
経営理念は「丁寧に包み、丁寧を生きる」で、その理念通り仕事に対しても、そして人に対しても丁寧な対応で、会社に入った瞬間に「ここはいい会社だな。」と感じました。
 
特に印象的だったのは、鬼頭祐治社長からお聞かせ頂いたこの会社で外国人労働者が活躍するきっかけとなったお話でした。
そのエピソードは、鬼頭社長が月刊「理念と経営」の「ありがとう卓越経営大賞」に奥様で副社長の鬼頭由梨亜さんを推薦した時の文章のコピーを頂きましたので、鬼頭社長の了解を得てそのままここにご紹介させて頂きます。

『時は2000年、日系ペルー人を初めて契約社員として雇用した。その当時は人手不足、日本人の離職に悩まされていたこともあり、その人を皮切りに知人、親戚関係の人が続々と入社した。気づいたときには30人を超えていた。言葉の問題、価値観の違い等で色々な問題が起きた。紙面では書けないようなトラブルにも見舞われた。それでも妻が外国人であることもあり、彼女自身が26歳で日本に来た時の不安と苦労を重ね合わせながら、外国人社員一人ひとりに誠実に、ときには厳しく、時には包み込むような思いで接してきた。
その甲斐あって、数年後には日本人の社員の人とも関係性が良くなり、良きチームワークで仕事ができるようになってきた。

そんな折、リーマンショックの波が弊社に押し寄せてきた。売り上げは半分以下になり
一日分行う仕事がなかった。と同時に新工場の建設も始まり、資金繰りも急激に悪化の一途をたどっていった。
国に助成金を申請し、なんとか乗り越えていこうと、外国人を含めてすべての社員が工場に集まり話し合いをした。どのようにワークシェアするかと話し合いを始めると、一人の外国人女性が手を挙げ発言した。「社長、私たち外国人をクビにしてください。私たちは仕事を求め日本に来ましたが、忙しい時は仕事があり、暇になればすぐクビになりました。解雇を繰り返し体験してきました。そんな体験は慣れています。また景気が良くなったら雇用してください。」と。
この発言の後に、ある日本人社員がこのように話した「今やめたら日本人でも就業が難しいのに外国籍の人が就業することはもっと難しい。今まで一緒にやってきたのだから、苦しい時ではあるが共にがんばりたい」と。
ありがたい思いの中、残ってくれた社員さんと頑張ろうという勇気を私自身も頂き、みんなで一緒に力を合わせていくことになった。
今では新しい工場の壁には、日本、韓国、ペルー、ブラジルの国旗が誇らしげに飾られている。リーマンショック後、すべての外国人は正社員にとなった。現在大いに活躍して頂いている。』

以上となりますが、実は奥様の鬼頭由梨亜副社長は韓国の方で、ご自身が慣れない日本に来て随分苦労した経験があるため、国籍は違っても同じ外国人として、どう受け入れてあげるべきかと言うことを、誰よりも考えて行動した結果、外国人労働者から信頼される存在になったのだと思います。
 外国人労働者、日本人労働者とか、障がい者と健常者とか一線を画していては本当の意味での「人を大切にする経営」とは言えないですね。

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