健常者は“境界人”(?)

 昨年暮れ、ある方のご厚意で知的障害の境遇にある若者たちが描いた絵のカレンダーをいただきました。色彩豊かな素晴らしい12ケ月間をめくりながら、知的障害のある方たちが見事な絵を描くことに感心する自分には何か思い違いをしているところはないのかと思いました。「知的障害があるにもかかわらず絵を・・・」と思うこと自体何か人を分け隔てする意識が潜在しているのではと。心に受けた感動をそのまま素直に絵の具の色に託して1枚の絵画に昇華させられる若者たちの心こそ常に健やかで、まさに「健常」ではないかと思いながらも。
 3年ほど前NHK Eテレで「バリバラ」という番組が作られました。バリアフリー・バラエティーのことです。「健常者」からは不謹慎だという反応もあったそうですが。当の障害をもった方々からはとても好評だったそうです。つまり当事者のための当事者による番組だったからで、従来ありがちな福祉の観点からの問題提起を行なう「健常者向き」の番組でも、憐れみを買うようなつくりのものでもなかったからです。最近自身の「障害」を“健常に演ずる”芸人も出てきています。
 数年前『精神』という上映時間4時間もの記録映画を観ました。岡山の精神科療養施設で撮られたこの映画に素顔を晒して自分を語る方たちを観ているうちに精神障害に至った方たちと「健常」の境目はどこにあるのかと思ったことがあります。
 昔ザ・ドリフターズのテレビ番組で、小人プロレスのレスラーたちが登場するようになったところ、小人症の人を笑いものにしているという批判が出て、短期間で出演取止めとなりました。当のレスラーたちが「安定収入の道を絶たれた」と残念がったことを「健常者」はどう受け止めればよかったのでしょうか。
 健常者と障害者という言葉の狭間にいる「境界者」である僕は、「障害」を苦にしない当事者の皆さんが身をもって教えてくれていることを受容しながら自問し続けることでしょう。

人を大切にする経営人財塾 山田 裕幸

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