石坂産業株式会社【No62いい会社視察2014/10/18】

今回は2014年10月に坂本ゼミの視察先としてご訪問した『石坂産業株式会社』さんをご紹介致します。当日は石坂典子社長にお話を伺いました。

●概要 (最近のHPから) https://ishizaka-group.co.jp/
代表者 代表取締役 石坂典子
本社・工場 埼玉県入間郡三芳町上富1589-2
創立 1967年(昭和42年)7月
設立 1971年(昭和46年)9月
資本金等 5,000万円
売上高 5,440百万円(2018年8月期)
従業員 約180名(2019年1月)
事業内容
1. 産業廃棄物中間処理業(再生事業者登録有)
2. 収集運搬業・積替保管許可
3. 再生品販売業(再生砂・砕石・木材チップその他)
4. 建設業(とび・土木工事業)
5. 古物商

●業界
日本国内では年間4億トンの廃棄物が生み出されます。(内訳;産業廃棄物は90%、生活廃棄物10%)
業界では業者2万社が減量化やリサイクル化を促進しています。処理できないものは埋め立てへ回る、そんな現状があります。

●創業者は現在相談役である石坂好男氏(現社長;石坂典子氏のお父様)
お父様は埼玉県深谷市生まれ。渋沢栄一生誕の地の近くです。4男に生まれ、高校卒業後、タクシー運転手を経てダンプカーを購入。ゴミを東京湾へ運ぶうちに、“使えるものがある。リサイクルの時代が来る”と考え、31才の時、関越自動車道に近い現在の埼玉県に会社を興しました。

●石坂典子氏;社長になるまで
高校を卒業しアメリカへ留学。しかし2か月で退学。その後“遊びながら米国で生活していた” と言います。
そんな状況を見かねたお父様が渡米、帰ってこいと説得。さすがに2度目の渡米で帰国を決意。
20歳で石坂産業に入社します。当時の平均年齢55才。女性は石坂典子さん含めて2名のみでした。
当時の廃棄物受け入れは価格競争やダンピングが当たり前で女性は相手にしてくれません。
相手は体に入れ墨をしていたり、ガラの“良くない”運転手です。産業廃棄物を運び込み、少しでも高く買い取れというわけです。荷物を下ろした後に買取価格に文句を言うなど、女性では歯が立たない状況もあったようです。

●社会現象となった環境問題
1999年ダイオキシン報道が社会問題化します。当時同社の周辺は“産廃銀座”と言われ、大小60本もの煙突が立ち並ぶ一帯。地域の野菜は全国的に売れなくなり、産廃業者への反対運動が激化。一番大きい設備を持つ同社は批判の矢面にたったのです。地域や環境団体からの圧力は相当なものがあったようです。一種の偏見や強い感情も含まれている状況であったのだと思いますが、冷静に考えれば、『環境』は国や業種や地域を越えて誰にも重要なものです。
この事態が数年続き、同社に大きな転機が訪れます。

●同社の最大の転機
社会問題が渦巻く状況の中、石坂典子氏は、お父様に今後会社をどうしたいか聞いたところ、“子供に継いでほしいと思って会社をつくった”と聞き、“社長をやらせてほしい”と頼んだそうです。31才の時でした。
父から1年間お試し社長の許可がおりました。
早速改革に着手。
〇この業界は社会的に底辺の産業に見られていること
〇焼却設備は社会に対して環境を悪化させていること
〇地域に必要とされる会社になること
その結果、15億円投資した焼却設備をたった1年で廃棄する決断を下します。そしてすべてのプラントを新しくし、“焼却”ではなく最新の“リサイクル工場化”へ舵をきります。
同時に人財教育をすすめるためにISO14000取得を目指します。当初の研修では社員は聞こうとしなかったと言いますが、必要性を力説。女性講師や漫画資料の導入など工夫を凝らしながらISOを取得することができました。しかし辞めていく社員も多かったと言い、55才だった平均年齢は1年後には35才になったと言います。
この苦難の大変革期を乗り越え、同社は地域に認められる産業廃棄物処理業へ歩みを進めていきました。時代はちょうどリサイクル法の制定やCSRが注目された時期です。14001を取得していることはその後のビジネスにおいて大きなアドバンテージになったようです。
すべての処理は施設の内部で処理されます。 
工場内は常に綺麗に保たれていました。

●最後に
一時は石坂サティアンとまで言われた辛さをお話くださった石坂社長、今同社の敷地は東京ドーム3.5個分の広さを有しながらも工場面積は20%しか占めていません。残りは緑化しているのです。そして煙突は1本もありません。
お父様の起業が31才、現社長への2代目バトンタッチが31才、そして弟が副社長、妹は専務です。お父様の希望を3人の姉・弟・妹が実現しています。
最近では、同社では広大な敷地を活用して様々な企画や社会貢献が行われています。
産業廃棄物処理会社という世間からは冷たい視線で見られる業界を見事に180度ひっくり返し、社会に必要不可欠な環境保全のための企業としての地位を確立させた石坂産業。“ピンチをチャンスに”という事はたやすいですが、実現した力はものすごいことです。
そして何よりも、石坂典子社長がどんな窮地にも達観したような姿勢で決断されていることに大きな驚きをもったご訪問でした。

***補足***
この投稿では2012/4~2018/3までの6年間法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室で経験した【いい会社視察】・【プロジェクト】・【授業で学んだこと】を中心に、毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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