日本電鍍工業株式会社【No75いい会社視察2013/6/22】

今回は2013年6月に坂本研究室の授業としてご訪問した『日本電鍍(でんと)工業株式会社』さんをご紹介致します。

●概要 (現在のホームページより)https://www.nihondento.com/
創立 1958年
資本金 1000万円
代表 代表取締役 伊藤麻美
従業員数 66名(視察当時の年齢層は22~81才)
所在地 埼玉県さいたま市北区日進町1-137
事業 電気メッキ加工、無電解メッキ加工、イオンプレーティング、その他の表面処理
 

●創業から高収益企業へ、そして転落
もともとメッキの技術をもとに現社長のお父様;伊藤光雄氏が1958年(昭和33年)に創業した会社です。
光雄氏はこれからの時代には時計を持つ人が増えると考え、時計をメッキする技術に目をつけ、1956年から研究開発を行い、高速度合金厚付け金メッキ法の開発に成功します。
1958年会社設立し、同年にはセイコーの指定工場を獲得し、さらに数か月後にはシチズン時計、オリエント時計の指定も受け順調に業績を拡大していきます。
お父様が経営をしていた頃の同社は県内で貴金属の購入が最も多く、納税額は埼玉県内でトップ5に入ったこともあるほどの存在でした。
しかし光雄氏は65才で癌の宣告を受けまもなく帰らぬ人となってしまいます。一人娘の伊藤麻美氏23才の時でした。
更にその後を引き継いだ社長の経営には問題があり、経営者交代から数年間で、通常では倒産するしかない状況に追い込まれていくのです。

●どん底の危機に火中のクリを拾った麻美氏
一人娘の伊藤麻美氏は幼少期からインターナショナルスクールに通っていたことから日本にいながら英語は堪能でした。上智大学卒業後はフリーランスのDJとして活躍します。しかしその間、20才の時には長年闘病生活を送っていたお母様が病気で他界。そして23才の時にはお父様も病気で他界と、若くして悲運な人生を過ごされています。
DJは数年続けたものの、年を重ねるごとに日本の現場では経験や企画力など実力を発揮しても評価されにくい業界に見切りをつけます。以前から興味のあった宝飾を仕事にしたいと米国に留学。1年で資格を取得し、就職先も一流ブランドから声がかかるほど順調でした。

しかし米国で順調にキャリアを築くための日々を送っていた麻美氏に、日本から電話がありました。
お父様他界後、後任社長が経営していた会社が倒産するというものでした。その経営はそれまでの資産を食い尽くす結果となり、8年後に倒産の危機を迎えたのです。
自宅は会社名義であったこともあり、米国にいて宝飾の世界で働こうとしていた矢先、麻美氏は急きょ帰国。弁護士や税理士から状況を聞いた麻美氏は、当初は“すでに他人が経営している会社、以前は父が経営していた会社”と、どこか他人事のように感じていたと言いますが、会社に足を運んでいるうちに社員の顔やその向こうに社員の家族がいることが実感できたと言い、他人事から自分事に変わっていったといいます。
最悪の状況を弁護士から聞くと、“10数億円の借金とともに自己破産”ということでした。
麻美氏はそれを聞いて逆に、“命は取られない、また人生をやり直せる”と前向きになったと言います。本物のスイッチがONになったのです。
まもなく後任社長に辞任を求め、麻美氏が社長就任。2000年の出来事です。
まず最初に社員と向き合うことからはじめ、当時約50名の社員との個人面談は1年を要したと言います。

●苦闘の日々
社長就任後はあらゆる厳しい経験をされている、そう感じました。
銀行からは経営を知らない素人扱いされ、税金を滞納せざるを得なかった時期には税務署へ交渉に行くと、“社員や家族がどうなるかは関係ない、税金を払えないのなら銀行口座を差し押さえる”と言われた際は、心底悔しい思いが募り辛かったと教えてくれました。
年金暮らしをするお母様の知り合いがお金を貸してくれたこともあるそうです。
しかし、今では“税務署からの厳しい言葉ですら感謝している”と語る麻美社長のやわらかい表情に驚きを覚えた記憶があります。
また、事業では3事業を2事業に集約したことで材料比率や採算を改善させて3年で黒字化を達成。6年目には新しいメインバンクとの出会いがあり財務は正常化しています。

●社員さんからのサプライズ
その日、社長は外出で何時に戻るかはっきりしていない中、社員から電話で“何時頃に戻るのか”と何度も電話があり、社長は“何かあったのか”と聞いたところ、“幹部二人が言い争っている、社長が戻らないと治まらない”と。
社長が会社に戻ると全員が集まって険悪な雰囲気は演技で、その日が誕生日だった麻美社長へ社員の皆さんからの想いのこもったお礼だったのでした。再建にあたって泣かないと決めていた社長でしたが思わず涙が出たそうです。

●印象的だったことば
・出社したときは、社員全員に挨拶をしてまわる社長。いない社員は会社じゅうを探す!
・社員は家族、仕事はリレー。
・元気のない社員は何かあるかもしれないと気を配る。
麻美社長の下、そこまで愛されている社員が作り上げる会社はあらゆる意味で強く、優しいのだと感じました。

●最後に
リーマンショック時には新卒5名・中途5名の大量採用をしています。
社員には経営マインドを持ってほしいと言います。経営層を厚くして麻美社長に何かあっても揺るがない会社にすることが大切とお話くださいました。
事業はメッキにこだわらず、将来違う業種になってもいいとすら言います。会社の永続を人生をかけて守った麻美社長の言葉は何よりも説得力がありました。

***補足***
この投稿では2012/4~2018/3までの6年間法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室で経験した【いい会社視察】・【プロジェクト】・【授業で学んだこと】を中心に、毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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