明治日本を「経営」した渋沢栄一の哲学

次の一万円札の「顔」となった渋沢栄一は明治期を代表する経済人であり、近代日本経済の父とよばれている。また、数々の社会貢献事業を興した人でもある。「現代語訳 論語と算盤」(ちくま新書 渋沢栄一著 現代語訳 守屋淳)の中に下記のような文章がある。

『わたしが前に欧米に旅行したさい、実際に見たドイツのクルップや、アメリカのボストン近郊にあったウォルサムという時計会社などは、その組織がきわめて家族的で、資本家と労働者の間に、和気あいあいとした雰囲気が流れていた。それを見て、わたしは驚きと称賛を禁じえなかったことがある。これこそわたしのいう「道徳という道を歩む」行為が円熟したもので、法の制定など幸いにも無意味にしてしまうことなのだ。こうなれるなら、労働問題に気を煩わされることもないではないか。

ところが今の社会には、こういった点に深く注意を払おうともせず、貧富の格差を無暗やたらとなくそうと願うものがいる。しかし貧富の格差は、程度の差はあるにせよ、いつの世、いかなる時代にも全く存在しないというわけにはいかないものだ。

(中略)

「金持ちがいるから、貧しい人がうまれてしまうのだ」などといった考え方で、世の中の人がみな、社会から金持ちを追い出そうとしたら、どうやって国に豊かさや力強さをもたらせばよいのだろう。個人の豊かさとは、すなわち国家の豊かさだ。個人が豊かになりたいと思わないで、どうして国が豊かになっていくだろう。国家を豊かにし、自分も地位や名誉を手に入れたいと思うから、人々は日夜努力するのだ。その結果として貧富の格差が生まれるのなら、それは自然の成り行きであって、人間社会の逃れられない宿命と考え、あきらめるよりほかにない。

とはいえ、常に貧しい人と金持ちの関係を円満にし、両者の調和を図ろうと努力することは、もののわかった人間に課せられたたえざる義務なのである。それなのに、「自然の成り行きだし、人間社会の宿命だから」と、流されるままにしてしまえば、ついには取り返しがつかない事態を引き起こしてしまうのも自然の結果なのだ。だから、わざわいを小さいうちに防ぐ手段として、ぜひとも「思いやりの道」を盛り上げていくよう切望する。』

渋沢栄一は、すべてを共有し、平等に分かち合うという共産主義的な視点も、個人の利己的な行動と「神の手」が良い社会を作るという「純粋」資本主義的な視点も明確に否定している。そして、自分や家族のために豊かになりたいという気持ちと思いやりの気持ちをうまくバランスして、得られた富を分かち合うべきと説く。この考え方は「道徳経済合一説」とよばれている。国家を豊かにしたい、自分を豊かにしたい、それを通じて他人を豊かにしたいという「思いやりの道」を歩む渋沢栄一、その気持ちが彼に関わる人たちに伝わり、彼に任せたいという資本家が現れ、彼のもとで働きたいという労働者が集まり、近代の日本経済が築かれていったのだと思う。

埼玉県深谷市には、渋沢栄一記念館、生家「中の家」をはじめとするゆかりの建物、施設などが数多くあり、渋沢栄一の足跡をたどることができる。

人を大切にする経営学会人財塾一期生 野村 国康

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