女子の困窮

コロナ禍で仕事を失い困窮されている方々が増えています。非正規の女子は特に精神的に追い詰められることが多くなり、児童にも被害が及んでいるとききます。何とか解決できる世の中になることを祈っています。日本人は真面目、優秀です。ここからふんばって立て直していくんだろうと確信しています。

私も失意で苦しいときがありました。それを救ってくれたのは、暗闇の道をランタンを掲げて歩く足元を照らし、進むべき方法を手で指し示し、その手段も示してくれる救世主のような先達の方々や、その物語でした。

何とか乗り越えよう、力をつけようとギリギリでふんばっているとき、困難を乗り越えた方々から勇気をいただくことで、闇の中で「光」をいただけた気がします。たとえば、社会福祉法人北海道光生舎さんを訪れたとき、創業者の高江常雄 氏の書を拝見いたしました。「光」という書です。その言葉、書から発せられるパワーに感動いたしました。
光生舎は、自身も障害者である前理事長が、「企業授産」という独自の理念に基づき、身障者が自らの手で働く場を事業化したものです。クリーニング業をされています。

坂本光司先生の「日本でいちばん大切にしたい会社5」で紹介され、北海道光生舎さんへ新刊のご本をお届けに、降りしきる雪の中を赤平市に坂本先生に同行して数人のゼミ生と行き、奥様にお会いできたことは一生の思い出です。感謝です。「女性は縁の下の力持ち」になりがちですが、坂本先生は、万感のリスペクトの思いを込めて奥様にご本を差し出されていました。

以下は、北海道道光生舎さんのホームページからの抜粋です。

〈北海道光生舎を創設〉
創業者 髙江 常男 そのロマン人生
名誉理事長 髙江常男(1927~2007)

創業者の髙江常男は、小学校のときに竹とんぼがあたったことで右目を失明。送電工事に携わっていた17歳のときには3,000ボルトの高圧電線で感電し、両腕を失いました。

つらい療養のあと必死に勉強に勤しみ、文学で身をたてようと活動していたところ、地方紙の新聞記者として職を得ることができました。

しかし口にペンを咥えて取材に歩くなか、炭鉱事故でケガをして仕事を見つけることができずにいる身体障がい者の存在を知り、彼らの仕事探しに奔走するも雇ってくれる会社はなく、「それなら自分たちで働く場をつくろう」と苦労して立ち上げたのが「赤平ドライクリーニング工場」でした。

創業当初は資金繰りにも苦しみ、何度も苦境に立たされましたが、その都度熱い情熱で乗り切り、北海道光生舎は次第に発展していきました。高度成長期の波にも乗り、積極的な営業戦略と近代的な設備投資で、北海道内でトップクラスのクリーニング事業を営むまでになったのです。

仕事には大変厳しい姿勢で臨んでいましたが、利用者にはとてもやさしく、障がい者の将来のことを思い、高齢者や重度障がい者の介護施設の設置も進めてきました。

平成12年1月突然の脳梗塞で倒れ、そのまま意識が戻ることはなく、倒れてから6年6か月後の平成19年7月、愛する家族に見守られながら静かに息を引き取りました。享年80歳の生涯でした。

髙江常男の生涯は、ラジオドラマや書籍、アニメ映画等になり、広くみなさんに紹介され、多くの反響を頂いています。

(人を大切にする経営学会 本田佳世子)

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