No198 印象的だった経営者のお話 ~厳しい局面での社長就任を乗り越えて~

今まで多くの経営者にお会いしお話を拝聴することができましたが、今回は先週に引き続き、逆風を乗り越えた貴重な企業を取り上げました。

先週は“事業転換や逆風”がキーワードでしたが、今回は社長就任時点で、想像を絶する厳しい状況に自ら覚悟をもって社長になった事例です。

●日本電鍍工業株式会社(埼玉県さいたま市) 代表取締役 伊藤麻美

〇どん底の危機に火中のクリを拾った麻美氏

メッキの技術をもとに伊藤光雄氏が1958年(昭和33年)に創業した会社です。

一人娘の伊藤麻美氏は幼少期からインターナショナルスクールに通っていたことから日本にいながら英語は堪能でした。しかし20才の時には長年闘病生活を送っていたお母様が病気で他界。そして23才の時にはお父様も病気で他界と、若くして悲運な人生を過ごされています。

宝飾を仕事にしたいと米国に留学。1年で資格を取得し、就職先も一流ブランドから声がかかり、米国で念願の日々を送っていた麻美氏に日本から電話がありました。

“お父様他界後、後任社長の経営が芳しくなく倒産する”というものでした。その経営はそれまでの資産を食い尽くす結果となり、8年後に倒産の危機を迎えていたのです。

自宅が会社名義であったこともあり、麻美氏は急きょ米国から帰国。弁護士や税理士から状況を聞いた麻美氏は、当初は“すでに他人が経営している会社、以前は父が経営していた会社”と、どこか他人事のように感じていたと言います。しかし最悪の状況を弁護士から聞くと、“10数億円の借金とともに自己破産”ということでした。

麻美氏はそれを聞いて逆に、“命は取られない、また人生をやり直せる”と前向きになったと言います。まもなく後任社長に辞任を求め、麻美氏が社長就任。2000年の出来事です。

社長就任後はまず最初に社員と向き合うことからはじめ、当時約50名の社員との個人面談は1年を要したと言います。

銀行からは経営を知らない素人扱いされ、税金を滞納せざるを得なかった時期には税務署へ交渉に行くと、“社員や家族がどうなるかは関係ない、税金を払えないのなら銀行口座を差し押さえる”と言われた際は、心底悔しい思いが募り辛かったと教えてくれました。

年金暮らしをするお母様の知り合いがお金を貸してくれたこともあるそうです。

しかし、今では“税務署からの厳しい言葉ですら感謝している”と語る麻美社長のやわらかい表情に驚きを覚えた記憶があります。

また、事業では3事業を2事業に集約したことで材料比率や採算を改善させて3年で黒字化を達成。6年目には新しいメインバンクとの出会いがあり財務は正常化しています。

経営をしたことがない一人娘だった麻美氏が、倒産の危機を救い、社員とその家族の生活を守っている姿は物凄いことです。

●武蔵境自動車教習所(東京都武蔵野市)代表取締役社長 髙橋明希

〇2代目社長の悲劇

武蔵境自動車教習所には、1989年4月に就任した2代目社長が前年結成された労働組合との紛争を思い詰めて就任翌日に自殺するという悲しい歴史があります。その最大の危機に社長に就任された高橋勇現会長の想いは想像を絶するものがあります。

高橋勇現会長のお話ではその危機の状況について多くを語ることはありませんでしたが、社長就任後、武蔵境自動車教習所のシェアは1989年では1.6%でしたが2009年には4.5%まで増加していました。

現在激動の自動車業界に係わる同社には事業転換を図る使命があります。『共尊共栄』という経営理念とともに進んできた歴史はこれからの同社を支えることでしょう。

同社がこれからどのように事業転換を図るか楽しみでなりません。

●最後に

企業を襲う逆風はいつ何時訪れるかわかりません。その備えが重要であることは言うまでもありませんが、想像を大きく超える悲劇や苦難に逃げることなく立ち向かう経営者の皆さんのメンタリティには驚くばかりです。経営者という役割を持つ人たちには最大の敬意を表したいと思います。

***補足***

この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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