No202 経営者のお話 ~戦争の苦難を乗り越えたいい会社

世の中にわかに平和の有難さ・尊さを意識する機会が増えてきました。

国の危機だと主張して他国に軍隊を送ることはあってはならないことです。

今回はいい会社に学んだ経営者のお話から、戦争にまつわるお話を挙げてみました。

●株式会社富士メガネ

創業者は現代表取締役会長・社長兼任 金井 昭雄氏のお父様である金井武雄氏です。

1939年(昭和14年)10月、樺太にメガネ店を開業しましたが、戦争の大混乱のため店を手放して北海道へ引き揚げます。次の引揚船は機雷に触れて沈没したといいます。想像を絶する中、札幌で再びメガネ店を開業しました。2代目の昭雄氏は樺太に生まれ2歳で終戦を迎えられています。

そんな同社は今では北海道中心に65店舗を超え関東地方にも7店舗あります。

●株式会社埼玉種畜牧場(サイボクハム)

創業者の笹崎龍雄氏は学業が抜群でした。上京し昼間に仕事をしながら受験勉強に励み、見事1937年東京高等農林学校獣医学科(元東京帝国大学農学部)に合格。さらに難関だった陸軍から学資が支給される試験にも合格。

フィリピンで終戦を迎え“帰国して祖国のために尽くせ”という山下奉文司令官の遺命を胸に九死に一生を得て帰国しました。

戦後の食生活をささえようと養豚業経営の傍ら書き続けてきた著述『養豚大成』(1953年 養賢堂)が全世界で300万部も売れる大ロングセラーとなります。全373ページ50余版まで改版され英語、中国語等に翻訳。北京大学ではテキストとして使用されます。

また1952年以降、国内外から養豚後継青年(2000名以上)を研修生として積極的に受け入れ養豚業界に貢献。

戦後の厳しい中、日本の食生活を支えるだけでなく、世界に貢献しています。

●小ざさ

創業は1902年生まれのお父様;伊神照男さんが小ざさの前身となるナルミ屋を1931年東京都武蔵野市の吉祥寺に設立。照男さんは奥様にお店を任せて満州に渡り商売を進めますが、戦争となったことから、奥様は吉祥寺のお店をたたんで疎開、そして敗戦を迎えます。音信不通だった照男さんは終戦2年以上経って満州から帰国。激動の時期を挟みながらも1951年に改めて吉祥寺に小ざさが誕生します。そして今では何十年と行列が絶えない羊羹のお店となっています。

●コーケン工業株式会社

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村松久範社長(当時)は幼少時に終戦を迎え、お父様はロシアで亡くなり祖母に育てられたそうです。また、“日本人という家族で育った”とも言います。このような思いが高齢者や障がい者を含めた社員とその家族までを分け隔てなくコーケンファミリーとして大切にする理由だと感じました。

ある高齢男性の社員さんは、“コーケンに来てよかった。会社にいると友達が増える。”と笑顔で話してくれました。

●最後に

現代は過去の大戦や冷戦の経験をもとに国際的には成熟しているはずと感じながらも、一方で今の時代にも戦争に向かっている国の指導者がいたのだと思うと、グローバルと称して地球規模でつながったことによって、世界が大きなリスクを包含しているのだと感じざるを得ません。

そんな世の中だからこそいい会社の存在やその広がりは、人が息をするために必要な空気のように世界中に広がるべきなのだと思います。

***補足***

この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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