映画「『生きる』大川小学校 津波裁判を闘った人たち」を観て

先週から全国の劇場で随時公開されている映画「生きる」(寺田和弘監督)を観てきました。この映画は、3・11の津波により児童74人(内、4名未だに行方不明)、教職員10名がなくなった事件のドキュメンタリーです。他の多くの津波被害を受けた学校と異なり、なぜ大川小学校の子どもがこれだけの事故にあったのか、子ども達はどのように亡くなったのか、その真実を探し続ける親の悲痛な闘いの日々を静かに、淡々と表現している映画です。

 学校や行政の不誠実ともいえる対応、第三者機関であるべき検証委員会の無力な調査結果を受け、真実を求めてやむなく裁判を起こしたご遺族を追いかける映画です。

 この映画からは、沢山のことを考えさせられました。その中で経営に関わることで学んだことが2点ありました。

 1つ目の教訓は、組織のあり方です。3・11当日は、学校長は出張で不在でした。地震の後、スクールバスも待機し、そして学校の裏山には走って1,2分で登れるにもかかわらず、教頭率いる職員は、約50分弱学校の校庭に児童を座らせて、対応を検討していまいした。

 その間14時52分に大津波警報、15時10分に2回目の大津波警報、15時20分には消防車が高台避難を呼びかけ学校横を通過、15時28分ごろ市広報車が高台避難を呼びかけ学校横を通過、その後の15時35分ころ、職員は児童を従えて川にかかる橋のある少し高台となっている三角地帯へ移動を開始し、その2分後の15時37分、学校及び周辺に津波が襲い、児童は津波の渦に巻き込まれてしまったそうです。

 ここには、BCPの準備不足、緊急時の指揮系統、決定権者の曖昧さ、職員間の人間関係のもつれ等、日常の組織運営ではそれほど目につかず、ないがしろにされてきたこと原因であったことが分かります。もともと小学校としては避難場所を裏山としていましたが、正式決定をしておらず、当日も教頭は裏山に避難しようとしましたが、学校に避難してきた地域住民から三角地帯の方がいいといわれ、何らの検討もなく地域住民に従ってしまっていました。

 2つ目の教訓は、事故が起こったしまった後の事故対応のあり方です。教育委員会と学校長は、第1回目の保護者説明会に裏山に逃げて助かった唯一の教員である教務主任に当時の状況説明を実施させました。もとより、被害者の方にもっとも具体的な証言のできる証人を説明会で説明させることは重要なことです。しかし、事故直後で、まだ精神的に混乱している当該職員を保護者の矢面に立たせることは慎重であるべきです。説明責任は、教育委員会、学校長の責任です。本件では、この職員の証言が後に、生存した児童の証言と食い違い、職員が保身を図るために虚偽の証言をしたのではないか、と疑われてしまいました。遺族にとっても証言した職員にとっても辛いことをさせてしまったのは、教育委員会の不適切な説明会の運営が原因です。またその後、教育委員会は生存した児童からの聞き取りについて、裏山に逃げようという話はなかったと保護者に説明をしましたが、その児童らは事故直後から、6年生の一部が裏山に逃げるべきだと訴えていたことを証言しており、教育委員会の担当者にも話をしていたことが後に分かりました。これも教育委員会の事故対応の誤りです。

被害者は真実を知りたい。事故を起こしてしまった以上、その真実について事故を起こした組織自身が真摯に探求しなければなりません。当初、保護者は教育委員会からの調査結果、それがダメでも第三者である検証委員会の調査結果で真実が分かるかと思っていました。しかしそこからは責任回避の姿勢しかみられませんでした。その結果、保護者は裁判を起こさざるを得なくなりました。保護者が、子どもをお金に変えるのかと無理解な非難をされ、くには損害賠償義務を負うことになりました。

一般企業では、絶対に避けるべき結末でした。無責任な事故対応は、かえって紛争を拡大させてしまうことを教訓とするべきだと改めて思いました。       (学会 法務研究部会 弁護士 山田勝彦)             

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