NHK大河「どうする家康」を仕事に活かす・今川家人質篇
1549年 家康8歳 人質生活11年での学び
家康の人質生活は5歳から始まります。 父親の松平広忠は織田信秀の岡崎侵攻に対し駿河の今川義元に加勢を要請しました。義元は人質を出すことを条件とします。弘忠は5歳の竹千代(家康)を今川家に差し向けます。 ところが、その移動中に義理の祖父の裏切りで竹千代は織田方に売り渡されます。そのまま竹千代は織田家の人質になってしまいます。 今川義元は竹千代奪還に動きます。軍師・太原雪斎に命じ、今川方に生け捕られていた織田信秀の息子と竹千代の人質交換が成立し、8歳にして改めて今川家の人質となります。
今川家での人質生活は、決して屈辱的なものではありませんでした。今川家としては頼りになる同盟者として竹千代を育てます。
義元から名前を一字もらって松平元康と名乗ります。 義元から紅糸威腹巻の甲冑を頂戴する。 義元の養女・瀬名(築山殿)を嫁にもらいます。 今川家の執政・軍師の太原雪斎の指導を受けます。 臨斉寺で史記・論語・六韜・三略・貞観政要・吾妻鏡を学びます。
家康は将軍職を息子に譲って隠居したさい、人質生活を暮らした駿府に住みます。それゆえ、不快な人質生活ではなかったと考えられます。
あなたが家康なら、幼少期に親と離れての不幸な日常に直面したとき、どうする家康? (人を大切にする経営学会会員:根本幸治)
静岡駅の竹千代像
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