もう一人の自分との対話

今年2024年1月13日の日経新聞に、FRONTEC社が調査した日本企業における不正調査の結果が掲載されていました。

過去5年以内に発生した不正に関して、調査回答社220社の内、24.6%が過去5年間に外部調査が必要な不正があったと回答されたとのことです。

 内容を見ると、「労務・ハラスメント」36.4%、「横領・キックバック」32.7%、「品質不正」32.7%であったそうです。どうしてこのようなことが起こってしまうのでしょうか。

 コンプライアンスの専門家である國廣正弁護士は、人は性善説・性悪説で見るのではなく、性弱説でみるべきだと言っています。コンプライアンス分野でよく聞かれる言葉です。

人は元来、弱い者である、との観点でコンプライアンスを考えるべきであるという意味です。

 この点は、以前にも触れたアダム・スミスによる「道徳感情論」と共通するものがあると思います。

経済は、人の営みです。したがって、人が無秩序であれば、当然に経済も乱れることになります。人が共に生活していくためには、共感力が必要となります。共感とは、相手の立場を理解する能力のことだといってもいいと思います。相手と同じ考え、つまり同調する必要はありません。

しかし、相手の考え・思いを理解することは必要です。その意味で、共感という言葉が使われているのだと思います。

それでも人は自分が一番大切!ついつい自我の気持ちに共感の気持ちが負けてしまう可能性があります。

そこで、アダム・スミスは、自分の頭の中に、もう一人の「公平なる観察者」である自分を設定するべきと提唱しています。このもう一人の「公平なる観察者」である自分が、自分の利己心を適度に制限し人々との共感、それによる社会秩序を守ることになると言っています。

でも、もう一人の「公平なる観察者」である自分を設定するのも修行が必要な気がします。私自身、そのようにできているかと自らに問うと自信のないところもあります。まだまだ修行が必要です。

もう一つ、参考になるのがMUFGの社員の行動規範に対するトップメッセージです。「日々の業務で判断に迷うときは、この行動規範に立ち返ってください。そして、ご家族や友人の顔を思い浮かべ、自分の行動が「正しい行動」かよく考えてみてください。」

判断に迷った時に、「公平なる観察者」であるもう一人の自分の声を聞く、それが難しくとも、家族や友人の顔を思い浮かべ、恥ずべき点はないかと自分に問う姿勢が全ての人に身につけば、コンプライアンス強化!などと叫ばなくてもいい時代になるのではないでしょうか。

(学会 法務部会 常任理事 弁護士 山田勝彦)

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