NHK大河「光る君へ」を仕事に活かす 一条天皇

一条天皇                                           980年~1011年                                       天皇在位 7歳~32歳                                    父:円融天皇                                       母:藤原詮子                                        皇后:藤原定子(道隆娘) 藤原彰子(道長娘)                       子:後一条天皇、後朱雀天皇                                 従兄:花山天皇、三条天皇

藤原兼家の死後は、長男の道隆が外戚として関白を務め、一条天皇の皇后に娘の定子を入れ、中宮としました。一条天皇(11歳)と中宮定子(14歳)の仲睦まじい夫婦の様子は清少納言の枕草子に描写されています。実際に一条天皇が生涯通じて愛し続けたのは定子と考えられています。

道隆が死去すると五男の道長が藤原詮子(一条天皇の母親)の推挙により政権の中枢に躍り出てきます。道隆の子息たちは、花山院に向けて弓矢を射た事件の責任から失脚します。

藤原道長は一条天皇(20歳)に娘の彰子(12歳)を嫁がせ強引に中宮を号させ、一帝二后(天皇に正妻が二人)という前代未聞の状態を作り出しました。

道長は、天皇が彰子のサロンに出向くように、源氏物語を創作する紫式部や和泉式部、赤染衛門を宮廷女房として配置し、文芸好きな天皇が通い易くしました。                    これにより、平安女流文学が花開きました。

天皇自身、文芸に深い関心を示し、『本朝文粋』などに詩文を残しています。音楽にも堪能で、笛を能くしたといいます。また、人柄は温和で好学だったといい、「人々が寒がっているのに自分だけ暖かくして寝ているわけにはいかない」と言い寒い夜にわざわざ服を脱いだという逸話もあり、多くの人に慕われました。

天皇は、大変な愛猫家であり、内裏で生まれた猫のために儀式を執り行い、人間の乳母をつけたという話が『小右記』に記述されています。この猫は「命婦のおとど(おもと)」と名付けられ、叙爵されていた事が『枕草子』に記述されています。                          (人を大切にする経営学会:根本幸治)

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