「世のため人のため人のため」を心理学で考える

「世のため、人のためになり、ひいては自分のためになるということをやったら、

必ず成就します」 

といったのは、パナソニック創業者 松下幸之助氏の言葉である。

一方、

「人の為と書いていつわり「偽」と読むんだねえ~」

と相田みつお は、つぶやいている。

また、

「世のため人のため」という人ほど、

本当は、自分のためにやっている、胡散臭さを感じる

といった記事も、ネットを引くと出てくる。

確かに、自分自身も、気持ちはあっても

「世のため人のため」といった言葉を発することには抵抗を感じる。

なぜか?自分の心のどこかに、そうとは言い切れない心理があるからだ。

また、他者を見ていても「世のため人のため」といったことを言いながら、

「自分のため」と感じるとことも、長く生きていると見てきたからだ。

人間の欲求の理論で最も有名なのは、

マズローの欲求5段階説(+自己超越)であるが、

私自身、アルダファーのERG理論の方がシンプルで、

実態に近いと思うので、こちらで整理する。

違いは、以下の通りである。

マズローが、一番低次な欲求から満たそうとするが、

アルダファーは、低次欲求を満たしてなくても

高次な欲求が活性化することがある。

また、アルダファーとして、同時性を強調する。

確かに、ガンジーのような人に照らしてみると、

必ずしも低次から高次といったことではないと感じる。

一方、アルダファーの方には、自己超越といった欲求は入っていない。

存在欲求(Existence)

生物としての存在に関わる低次の欲求で、

生存のために最低限必要なものを求める欲求

関係欲求(Relatedness)

人間関係に関する欲求で、

自分にとって望ましい関係性・他者との関わり方をもとめる欲求

成長欲求(Growth)

人間が本質的にもっている成長したいという高次の欲求

しかし、「何か人にためにやってあげたい」といった公欲は、

誰にも差こそあれあると思う。

また、同志社太田肇教授が、長年主張してきた承認欲求を加えると、

人間の心理をある程度、網羅できると思う。

つまり、「世のため人のため」の公欲の心理の背景を考えると、

他の4つの欲求も、これも程度の差さえあれ、誰にでもある。

そして、4つの欲求も同時発生的に満たされるからである。

ここで考えなくてはいけないのは、

「世のため人のため」と考えての行為が、本当にそうなっているかである。

プーチンの正義に対する主張は、ロシア側から物事を眺めれば、

ウクライナ問題で暗躍する欧米側の思惑からの解放である。

しかし、一方、プーチン=極悪、ゼレンスキー=正義 と

単純に決めつけることにも疑問が呈されている。

極端な例を出したが、

身近なことで、「世のため人のため」と、良かれと思っても、

独りよがりになる危険性もある。

以上をまとめると、

  • 「世のため人のため」よりも「自分のため」といったことではないか?
  • 「世のため人のため」は、本当にためになっているのか?
  • 「世のため人のため」は、一面的な価値観に基づいたものでないのか?

この3点は、しっかりと考えなくてはいけないと思う。

藤井 正隆

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です