No117記憶に残る経営者の言葉⑰ 日本電鍍工業株式会社(埼玉県さいたま市;貴金属メッキ業)伊藤麻美社長

日本電鍍工業株式会社は現社長のお父様;伊藤光雄氏が1958年(昭和33年)に創業した会社です。県内で納税トップ5に入るほど優良企業だった時期もある同社は、父の急死とその後を引き継いだ社長の経営によって8年後には倒産寸前となってしまいます。

創業者の一人娘だった麻美氏が素人同然の状態で社長になったことで、同社はどん底からの復活していくのです。

他人が社長になっていたとはいえ、創業家への影響は大きかったのでしょう。倒産目前になった頃、当時アメリカにいた麻美氏が日本に呼び戻されました。最悪の想定を弁護士から聞くと、“10数億円の借金とともに自己破産”。

伊藤麻美氏はそれを聞いて逆に、前向きになったと言います。

“命は取られない、また人生をやり直せる”

本物のスイッチがONになったのです。

銀行からは経営を知らない素人扱いされ、税金を滞納せざるを得なかった時に税務署へ交渉に行くと、“社員や家族がどうなるかは関係ない、税金を払えないのなら銀行口座を差し押さえる”と言われた際は、心底悔しい思いが募り辛かったと打ち明けてくれました。

年金暮らしをするお母様の知り合いがお金を貸してくれたこともあったそうです。

しかし、今では“税務署からの厳しい言葉ですら感謝している”と語る麻美社長のやわらかい表情に本物の経営者の姿を感じました。

“出社したときは、社員全員に挨拶をしてまわる。いない社員は会社じゅうを探す”

“社員は家族、仕事はリレー”

7年前の視察ですが、今も記憶に残る伊藤麻美社長のお話でした。

以前に投稿した記事は 日本電鍍工業株式会社【No75いい会社視察2013/6/22】 このブログ内を検索してご参照ください。

***補足***

この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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