NHK大河「どうする家康」を仕事に活かす・信長は敵か味方か篇

徳川家康と織田信長の清州同盟は1562年に結ばれ、信長が暗殺される1582年まで続きます。戦国大名は目先の状況で同盟と戦闘を繰り返すのが常識なのに、20年という異常なまでに長期関係です。しかも内容は、対等同盟といいながら実質は従属同盟になっていきます。

信長の人間関係は主に以下の通りです。

平手正秀(養育担当宿老)                                  粗暴な信長を教育し切れなかった織田家への詫びとして自害。信長は悲しみ正秀寺を建立。

斎藤道三(義理父)                                     初対面で信長の非凡さを洞察し織田家の発展を予言。信長も道三を尊敬し弔い合戦に参加。

織田信行(同母弟)                                     敵意があると信長が判断し、仮病の信長の見舞いにきたところを謀殺。

浅井長政(義理弟)                                     長政は妻の兄との同盟よりも歴代の同盟である朝倉氏に味方し信長を裏切り。城攻めされ一族滅亡。

足利義昭(将軍)                                      信長のおかげで将軍位に付くが、傀儡政権に嫌気がさし裏切り。将軍職をはく奪され京都から追放。

荒木村重(家臣)                                      信長からの信頼があったが、恐怖政治に耐えられず裏切り。家族や家来は殺されるが自分だけ逃避。

明智光秀(家臣)                                      信長に大抜擢され秀吉より出世が早かったが、四国担当を外され領地替えを機に裏切り、信長を暗殺。

現代人としては、ブラック企業の織田株式会社の信長社長に仕えるのは、敬遠したくなります。

NHK大河ドラマでは、浅井長政に同調する家康を描いていましたが、実際にはありえません。むしろ積極的に浅井との戦闘を信長に直訴しています。長政から見ると、自分と同じ信長の同盟者の家康があそこまで信長にすり寄る姿に嫌悪を抱いたのではないでしょうか?浅井家のプライドが許さないと。

なぜ家康は、信長との関係を持続させたのか?                               

家康にとっては、信長より怖いのが武田信玄だったから、そんな風に私は思っています。

あなたが家康なら、信長と同盟を継続するか、どうする?

人を大切にする経営学会会員:根本幸治

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です