NHK大河「どうする家康」を仕事に活かす なぜ豊臣秀吉は天下を取れたのか?
1590年 豊臣秀吉(54)は小田原北条氏を降伏させ、天下統一を完成させました。
秀吉の成功への分岐点
①上司に織田信長を選択 秀吉は百姓生活を飛び出して今川義元の家来の松下氏に奉公するも、転職して織田信長に仕えることにした。秀吉自身の明るい性格と機敏な才覚で出生を遂げる。
②本能寺の変で敵将毛利方と和睦 救援を依頼していた信長が暗殺され、明智と毛利に挟撃される局面ながら、わずか1日の交渉で毛利方に和睦をのませ、追い討ちされることなく仇討ちに成功する。毛利との厚い信頼関係を持続させる。
③小牧長久手の戦いで家康に敗北するも服従させる 野戦における戦闘で家康に負ける。しかし、大局的な政治的戦略の官位競争において家康を大きく上回り、臣下として家康を服従させる。
④百姓出身で関白・太閤となる 身分が卑しいという弱点を逆手に取り、藤原摂関家の養子となることで関白職の資格を取得。天皇家や貴族や寺社仏閣への金銭的な支援で味方にする。
⑤豊臣姓を有力大名に配給 豊臣という姓を有力大名に下賜することで氏族間の争いを避け、領土問題には豊臣政権が関与することで紛争を禁じた。
秀吉の勝因は、戦闘力ではなく、交渉力でした。彼の交渉力という才能が天下人に導いたと言えるのではないでしょうか?現代に例えると、今太閤とよばれた田中角栄が該当するでしょう。 (人を大切にする経営学会:根本幸治)
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