NHK大河「どうする家康」を仕事に活かす なぜ秀吉は大陸侵攻したのか?

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐により天下統一が完成                          1592年 大陸の明国(中国)、天竺(インド)への侵攻を目標に朝鮮出兵(文禄・慶長の役)

なぜ外国を攻める必要があるのでしょうか?

それまで日本は、百済の要請で唐・新羅を攻めたことがあります(白村江の戦い)。        一方で 女真族(刀伊)やモンゴル族(元)から侵攻を受けたことがあります。                   また、倭寇と呼ばれる日本人・中国人・朝鮮人の私的な海賊がアジアの港を襲うことがありました。

それにしても秀吉の唐入りと呼ばれる侵攻は、誰が考えても無謀で無意味なものですが、どの大名も止めることはできませんでした。

ただ、秀吉には必要なことだったのです。                           独断と偏見で私的な意見を述べます。

①雇用対策                                         大名とは軍隊であり、軍隊の仕事は戦争です。戦争がなくなると国家の経済成長がなくなるのです。出世のチャンスもなくなります。政権担当者として国民の仕事をなくすわけにはいきません。戦争継続は拡大成長欲を持つ大多数の武士には喜ばしいことです。

②ライバル対策                                         家康は出兵を特別に免除されました。これは家康にとっては嬉しい事です。もし、侵攻が成功していたらどうなるでしょう。出兵した豊臣恩顧の大名である加藤清正、小西行長、その他の大名の領地が増えます。相対的にライバルの家康の影響度を小さくすることができます。

③信長の命令                                        唐入りは秀吉の発案ではなく、信長の発案であり、秀吉はその目標に忠実でした。大坂城の築城も信長の発案です。信長の妄想に秀吉は操られました。織田政権を実現しなかった秀吉を、信長の亡霊が導いたのかもしれません。豊臣家を滅亡させる淀君は、織田家の血を引いています。          (人を大切にする経営学会:根本幸治)

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