仏の顔も三度、では四度目は?

「仏の顔も三度」とは、いくらおとなしい人でもひどいことをたびたびされれば、怒ることがあるものだ(新明解国語辞典より)という意味だと言われています。

 ただある住職によれば、仏は四度でも、五度でも怒るはずはない!仏は怒らない!とおっしゃっています。

 仏の真偽は分かりませんが、人は我慢ができないというというのが普通ではないでしょうか。

 「仏の顔も三度」は、組織を運営するにあたって二つの意味があると思っています。

 一つ目の意味は、文字通り三度までは怒らず、見守りながら、耐えるという意味です。

 上司としては、部下が同じ失敗を繰り返すとどうしても口出しをしてしまいたくなります。そこをグッとこらえ、本人が、失敗に自ら気付き、今後、同じ失敗をしない工夫を自ら考え、実践することを促す姿勢が必要となります。部下の成長を見守る姿勢であり、まさに上司のネガティブケイパビリティ(不確実なものや未解決のものを受容する能力)が問われます。

 では、四度目はどうでしょうか?

 同じ過ちを四度も繰り返すのであれば、懲戒としての戒告、厳重注意をする、というのは一般的な対応かもしれません。確かに、本人が不真面目であったり、全く反省もなく何らの工夫もないのであれば、このような対応もやむを得ないと考えます。

 しかし、本人が真面目に反省し、工夫をしてもなお四度目に同じ過ちをしてしまうということはあります。この場合は、本人が原因を自ら分析しきれていないか、工夫が適切でないかのいずれかの結果です。

このように同じ過ちが四度続いたら、上司は、しっかりと本人と向き合い、一緒になって、同じ過ちを繰り返さないような方策を作っていくべきです。場合によっては、その業務を他の者に変えるということもあります。そして、そのような方策をとったにも関わらず、五度目となったら、それはもはや本人だけの責任ではなく、上司の責任でもあります。

 人間は必ず誤りや失敗を起こす。大切なことは、それを糧として次に活かせるかです。

  (学会 法務部会 常任理事 弁護士 山田勝彦)

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