ばちが当たる?!
自らの行いが正しいかどうか?
アメリカにおいては、教会に毎週通っている人に犯罪者が少ないとか、より健康で長生きをする、収入も高いという統計調査報告がいくつかあります。神父さんや牧師さんも罪を犯すことはあるので、どの程度確度の高い報告は分かりません。
それでは、中国の次に無神論者の多い日本ではどうでしょうか。
2020年に読売新聞が面白い統計結果を出しています。2020年、ばちが当たることが「ある」と答えた人は全体の76%、「ない」と答えた人が23%だったというのです。
ばちが当たるとは、「神仏」による懲らしめを受けることを意味すると言われています。ここでも日本らしく、神と仏が同列に並べられています。神仏習合、神仏混淆のなごりかもしれません。
確かに、日本では、神道を明確に信仰していない人でも初詣に行ったり、会社や家に神棚を祀ったりすることはあります。(私もそのうちの1人です)
今はどうか分かりませんが、私たちの子どもの頃には、大人からよく「お天道様が見張っているよ」と言われることがありました。
日本人の心の中には、自己の行いをずっと神様、仏様、サムシング・グレートが見ている、という感覚が自然と身についているのではないでしょうか。その結果、日本では他の先進国に比べて犯罪が少なく、人に見られていなくても正しい行いをする人が多いのかも知れません。
とはいえ、信仰の自由がありますので、神仏に従うよう強制することは難しい面があります。
そこで、自らの行動を質すために行動規範があります。
私がいいと思うのは、三菱UFJファイナンシャルグループの行動規範です。
同グループの行動規範のメルクマールの1つとして、自らの行動に迷ったら、「家族や親しい人々に対しても、同じような行動がとれますか?」という基準があります。
自分の愛する人に対しても同じような行動がとれるか、というのは、「ばちが当たる」「お天道様が見張っているよ」と同じ効果があるように思うのです。
(学会 法務部会 常任理事 弁護士 山田勝彦)
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