遠くの常念,近くの情念

日曜日担当の高澤です。

ある研究科の先生が,一番最初の授業で「ここは社会人が多い大学院かもしれないが,教室に仕事の論理を持ち込まないように。自分の意志とは関係なく会社から派遣されていようが,上司に命令されて出張や残業があろうが,それらは一切欠席の理由として認めない」と警告したことがあります。

僕らは勉強するために学校にきているので,確かにその通りですよね。
ただその先生も「ただし,家族が病気になったり忌引きの場合は別」とおっしゃっていました。

実は先週親類の不幸があり,僕は急遽実家に戻っていました。
昨日のプログラム演習には戻ってこられると思っていたのですが,結局出られませんでした。
迷惑をかけてしまいごめんなさい。そんなわけで許してもらえると助かります。

…ま,前置き(いいわけ)が長くなりましたが,以前から病状を聞いていて覚悟していたにもかかわらず,お通夜では泣いてしまいました。
そういうときに思い出すのは決まって,ある小説で主人公が話すシーンです。

「人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない」

その度に僕が考えるのは,「果たして僕には涙を流す資格があるのだろうか?」ということであり,それに答えが出たことは残念ながら今まで一度もありません。

目の前にそびえる山の向こうに,常念岳が顔を出しているところを撮影しました。
ちっぽけな僕の疑問など存在しないかのように,それはそこにずっとありました。

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「遠くの常念,近くの情念」への2件のフィードバック

  1. 生老病死、生々流転する人生の中で、
    自らの心の中で変革を起こしつつ、
    常に自分であり続ける。
    どんな形であれ、
    自分らしく生きていくことが
    素晴らしい供養になると思います。