日本人の恩を感じる心~アポロガス

坂本ゼミの企業研究で、福島市のアポロガスさんを担当しています。当社を知ったことは、企業経営の枠を超えて、日本人として誇りさえ感じます。見習って私も少しは真っ当に生きたいものだと、生き方を教えていただいています。感謝です。

危機に直面した時こそ企業の使命が試される、とよくいわれるが、アポロガスは未曽有宇の福島の3・11の危機の中で、迅速な対応と地域へのあたたかい思いやりの行動を取った。それを可能にしたのは、当社の経営理念の浸透と、社長の根っこにある、日本人の心に息づく「恩」を感じそれを「恩返し」する心だった。

福島県福島市を中心に約6700戸の家庭にプロパンガスを販売・供給している株式会社アポロガスは、2011年3月11日の東日本大震災のとき、自社も被災する中、社員一丸となって翌日には全戸のガス復旧を成し遂げ、被災地のライフラインを守った。

さらに、同年7月1日の40周年の創立記念日には、福島第一原発事故を受けて、自社の存続も先行き不透明な中、地元新聞に全面広告で、「40年前の恩返し」と題する思いやりあふれるあたたかいメッセージレターを通して、不安にさいなまれ傷ついた地域の人々の心に、安心と感動と元気を与えた。読者からは、「新聞広告に感動して泣いたのは初めてでした、ありがとう」という声が寄せられた。

 その内容は、今後も地域のライフラインを守り続ける決意と、約束や愛情など目に見えない心を大切に福島の復興を誓う二つの決意が表明されていて、逆境の中でのこの境地に、私は精神の崇高さを感じました。

 以下、抜粋、中略あり(2011年7月1日、民報新聞)

 『拝啓 四十年前のかけだし記者様へ
 四十年前の今日、会社が設立されました。
 熱い心の駆け出し新聞記者のあなたは、言いました。
「設立当初は、お金が掛かる。必要であれば、求人の告知とか営業やイベントの告知とか新聞記事として、私がどんどん書いて応援する! 今は、広告にお金を使わないで大丈夫。ず~っと先に、会社が大きくなって余裕ができたら、新聞に大きく全面広告でも出してもらえればいいから。」
 あなたは、もう忘れているかもしれませんが、笑いながらあなたとアポロガスの初代社長は、四十年前に約束をしました。
 まだまだ、簡単に全面広告を打てるような会社でもなく、また東日本大震災の影響で余裕があるわけでもありませんが、四十年の節目の今日、あの約束を果たさせていただきます。あの時、飯坂支局の熱い支局長だった福島民報社のW社長、ありがとうございました。

 社名に刻まれたアポロの「チャレンジ精神」と、約束や愛情・思いやり・家族のきずなという「目に見えないものを大切にする心」は、アポロガスのDNAとして未来永劫これからも変えずに引き継いで行きます。

 原発事故や政治の駆け引き等で、何が真実で、誰の話を信じたらいいのか分からなくなって来ている今日この頃です。本物か、本物でないかの違いは、言葉だけなのか、それとも実際の行動をともなっているかの違いだと考えます。
 耳の痛い話ですが、よく「子どもは、親の言っている通りには成らず、親のやっている通りに成る。」と言われていますが、やはり言葉では何とでも言えますが、実際の行動が本物の条件だと考えます。

 アポロガスグループは、地元ふくしまで生まれた会社としてこれからも、ふくしまにこだわり、ふくしまを愛し、ふくしま人として「本物の会社」を目指していきます。
 ふくしまにはほんとうの空が、ほんとうの山が、ほんとうの川があります。
 そして、「ほんとうの空」の下、福島の子供たちが放射線を気にせず、心から安心して遊べる日が早く来るよう願って止みません。
   平成二三年七月一日                   株式会社アポロガス 代表取締役 篠木 雄司』

 また、「そして20年後には福島の若者ががんばったから、今の日本がある、といわれるようになろう! アポロガスは応援するから!」と、逆境の中でも、人を思いやり、心は前向きに生きていこう! というビジョンを示しました。社長のその行動に、ビジョナリーリーダーシップを見ました。

 この後も、アポロガスは「元気エネルギー供給企業」として、数々の社会貢献活動を県内、県外に展開していき、それに共感した方々と共に社会貢献活動の輪は全国に広がっていくます。心を打つ美しいエピソードの数々に感動、感謝です。
M2 本田 佳世子

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