18.過去5年間、自社の生産量不足を理由に、仕入先や協力企業等に依頼していた仕事を一方的に内作化していない

100の指標 
100 indicators

【2.社外社員(仕入先・協力企業等)に関する指標】
【2. Indicators for outside employees who work with suppliers and other cooperating companies】

18.過去5年間、自社の生産量不足を理由に、仕入先や協力企業等に依頼していた仕事を一方的に内作化していない
18. For 5 consecutive years, suppliers and other cooperating companies have not been requested to change production schedules due to internal production shortages.

三重県の四日市市に「三浜紙器」さんがある。
内作化されたがバネにした。

創業者と波瀾万丈の会社の歴史抜きでは語れません。
創業者、現社長、南川伸一社長の父、南川一男が一九六二年に廃品回収業として個人創業し、得意先からの要望により内装箱の製造を三年後の一九六五年から始めます。

時代の流れに乗り、一九六九年に現在地に工場を建設しました。
総合商社と出会い、ギフト用パッケ-ジを販売開始すると瞬く間に売上が上がり、一九七二年に三浜紙器株式会社を設立しました。

ギフト用パッケ-ジの組立作業が追いつかず内職屋の確保に困っていた時に心身障がい者の施設、「共栄作業所」と出会い、心身障がい者の素直さに惹かれ、工場の一角を共栄作業所に提供して、この工場が現在の「みはま作業所」となります。
一九七〇年代後半から輸出入の梱包作業の依頼が増え始め本格的に内装外装梱包の一貫生産を始めました。

一九八四年、ギフト用パッケ-ジが最高の時、総合商社から突然、来月から取引を止めて四日市支店を作ると言われ同社と縁を切りました。
辛い仕打ちでしたが、へこたれず、プリンタ-スロッタ二色印刷機とフォルダ-グルア機を買い入れ、外装ケ-スの作製に力を入れました。

一九八六年に、二五〇〇万円の不渡りを受けましたが、廃業を覚悟し有価証券を売却して再出発しました。以後、最新の設備を導入したりリサイクル工場を建設し今日に至っています。

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