台湾 白菜 肉

24日から26日の法政大学大学院 坂本 光司ゼミの台湾視察、最終日は博物館を訪ねた。
たまたま日本人や台湾人等の修学旅行等でごった返した。
ネットでは、「台湾 白菜 肉」で検索できる。
白菜の写真は、栃木県の水沼啓幸サクシード社長のショット。

我々のガイドは以前はよく来ていたようだが、久しぶりなのか、白菜だけの説明に終わった。
頭の片隅に置いておき、台湾に行った時に思い出して訪ねて欲しい。
館内は、フラッシュがなければ、カメラもOKのようだ。

3か月毎に展示物を入れ替える。3か月毎に行っても15年間はかかる。

素晴らしい芸術作品。私は多くは障がい者の作品だと推察している。
長い時間、こつこつ、細かな作業に耐えられるかだ。
芸術や芸能の世界ではショパン等は障がい者だったようだ。
絵を好きに描かせたり、ビアノ等の楽器を自由にやっていいのよで才能が開花するかもしれない、

以下、ネットから。
台北故宮展の「肉」と「白菜」がナゼお宝なのか理解しかねる人のために、素晴らしさを説く!
2014.08.16.

――エカキで作家・マンガ家、旅人でもある小暮満寿雄が世界のアートのコネタ・裏話をお届けする!
 今回も前回に引き続き、現在上野国立博物館で開催されている「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」で、その目玉となっている「白菜」と「肉」について紹介しよう。
 門外不出の本作が海外に出るのは画期的なことだ。おそらくは1945年に中国大陸を離れ、台湾にたどりついて以来、海外に出るのは初めてのことだろう。
 上野では、「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」が引き続き開催されているものの、「白菜」の展示はすでに終了。「肉」の展示は九州国立博物館で10月7日~20日までの2週間限定開催(展覧会は11月30日まで)を予定。
 「肉」と「白菜」は、収蔵点数70万点を超える故宮博物院の中でも一番人気の作品だ。故宮博物院においては、一番人気の2人組ユニットアイドルといった位置づけになるかもしれない。正しい呼び名は「翠玉白菜(すいぎょくはくさい)」と「肉形石(にっけいせき)」という。

■「翠玉白菜」の魅力
「翠玉白菜」を見た人が一様に言うのは「思ったより小さい」ということだ。だが何度見ても同じように、「こんなに小さかったかな」と感じるのは、大きさよりも細工の記憶の方が先立ってしまうからだろう。
「翠玉白菜」は、白菜とキリギリスが表現されているだけにもかかかわらず、なかなかのスケール感である。これでは大きさがわからなくなるのも無理からぬこと。白菜のヒダの透明感、白菜の葉に体をうずめるキリギリスのリアルな存在感は比類ないものだ。
 注目したいのは、翡翠の原石が持っていた色合いを十分に活かしていることだろう。白い部分は白菜の根元。緑の部分は白菜の葉と、キリギリスとイナゴを1匹ずつ彫り込んでいる。自然の造形物をここまで活かした職人芸…と言いたいところだが、実は完全に原石を活かしたわけではなく、葉の微妙な移り変わり部分は着色したというのが実際のところだ。

この小さい方のイナゴだが、15年前のリニューアル以前は「キリギリス」と表示されていた。つまり、キリギリスが2匹いるとされていたのだ。しかし、最近になって故宮博物院が高名な昆虫学者に鑑定を依頼したところ、上にいる小さな方の1匹はイナゴ…つまり、バッタの仲間であるというのがわかったのである。

専門の学者がそう断言するというのは、昆虫の持つ特徴を正確に彫っているからだという。両者の違いを左図の拙画で確認していただければ幸いだ。

 イナゴという昆虫は時に大量発生し、農作物を根こそぎ食い荒らすことで知られている。あの「三国志」の中にもイナゴによる大飢饉の場面があり、清朝中国を舞台にした小説、パールバックの「大地」でも、空を覆うイナゴの大群の場面が印象的だ。

 そんな恐ろしい存在を、どうして縁起物であるはずの「玉器」に彫り込むのか? それは、イナゴがとんでもない害虫である一方、不作の年には貴重なタンパク源として食料にされてきた歴史があるからだろう。そして繁殖力が強く、またキリギリスも同様であるため、子孫繁栄の象徴としてモチーフに選ばれてきたようだ。肉形石の知られざる魅力とは?

 もうひとつの故宮の人気アイドル「肉形石」。こちらはどこをどう見ても豚バラ煮込み、文字通りの肉の形の石である。それも皮つきの本格的な東坡肉(トンポーロー)。生の状態で皮を炙って、豚毛をすべて除去しないとこういう風には仕上がらない。表面の毛穴のへこみまで実物と見まごうばかりである。

 あまりに本物に近いため、思わず笑う人もいるほどだ。リンゴの写真を見ても誰も驚かないが、リンゴそっくりの絵画には感心してくれるように、肉形石は自然石なため、なおさらだろう。

 ちなみに「肉形石」のモデルになった料理・東坡肉だが、こちらは北宋の詩人、蘇軾(そしょく)が、左遷時代に調理法を考案したとされている。蘇軾は蘇東坡(そとうば)とも呼ばれ、その名を冠して「東坡肉」と呼ばれている。(左下にレシピ掲載!)

 故宮博物院の2大アイドル、「肉形石」「翠玉白菜」は、「玉器」と呼ばれる、ちょっと特殊な分野に入る工芸品だ。“玉”と一口に言っても、翡翠や白玉、黄玉など、さまざまな種類がある。だが、ハッキリとした定義はなく、「輝きを持った美しい石の総称」と考えていただければ良いだろう。

 “玉”も工芸品の一種だ。しかし、ほとんどの工芸品が食器などの実用を前提としているのに対して、玉器は装飾目的というのが、大きな違いだろう。

■芸術作品と工芸品の違い
 パリのルーヴル美術館やマドリッドのプラド美術館などと違い、故宮博物院には「芸術作品」と「工芸品」の線引きが難しい作品が数多く展示されている。中でも、玉器の数々はその典型とも言えるだろう。
 工芸品とは、何と言ってもその実用性があることだ。いくら形が独創的で面白くても、食品を盛ることができない食器や、衣服が収納できない箪笥(たんす)では仕方がない。
 その点、肉形石や翠玉白菜は、まったく実用性を伴わない装飾品だ。このような最高レベルの作品に「やれ芸術だ、工芸だ…」と議論をするのはあまり意味がない。だが、一般的にこれらは、芸術作品ではなく、工芸品のカテゴリーに入れられる。

 それは芸術と呼ばれるものは、基本的に「個人」の創造や美的表現をもとに作られていることを前提にされるからだ。それはリューベンス工房のような複数の人間の手による制作であっても、指示が親方からのトップダウンでもあれば同様だ。

 それに対して、工芸品の多くは分業制になっているなど、「個人」が入り込める隙間があるのが特徴だ。逆に技術的なことを言えば、実は工芸品の方がはるかに習得するのが難しい。多くの場合、ミクロン単位の精度の技術を持っているのは工芸品の方である。

 キャンバスに絵具を垂らして「はい、完成」というのも芸術だ。芸術家が、それを“アート”と言い切れば、芸術作品となる。だが、工芸作品の世界でそれは通用しない。

 そんな意味を踏まえて言えば、肉形石も翠玉白菜も限りなく芸術作品に近い工芸品…ではなく、芸術作品そのものと言って差し支えないだろう。

 肉形石など、たまたま肉に似た石に手を加えただけ、という意見もあるだろう。だが、京都・龍安寺の石庭を思い出していただきたい。あれも庭師が、たまたま庭に合いそうな石を見つけて置いただけと言えなくもない。

 肉形石の場合、禅の精神とはかけ離れたキッチュな作品だが、自然のままと見せかけて、実は隠れたところでさまざまな加工をしているのである。

 これを聞いて、『完全に自然の造形を生かしていると思ったのに』と、がっかりする人も少なくない。美術品の多くが、人の手を加えて完成するのが前提なのに、肉形石や翠玉白菜だと、逆に人の手が加わったことで失望するというのが面白いところでもある。

 だが、要は手間をかけたか、かけなかったではない。出来上がった作品が素晴らしいか、そうでないかということが大切だ。しかし、肉形石も翠玉白菜も最小限の手間で最上の作品に仕上げた、いわば素材を生かした料理のような作品なのかもしれない。

 それにしてもパリのルーヴル美術館や、ロンドンの大英博物館と並ぶ、世界有数のミュージアムでありながら、一番有名な作品が「肉」と「白菜」ということに、笑いがこみ上げてくるのは筆者だけだろうか。

■小暮満寿雄(こぐれ・ますお)
1986年多摩美術大学院修了。教員生活を経たのち、1988年よりインド、トルコ、ヨーロッパ方面を周遊。現在は著作や絵画の制作を中心に活動を行い、年に1回ほどのペースで個展を開催している。著書に『堪能ルーヴル―半日で観るヨーロッパ絵画のエッセンス』(まどか出版)、『みなしご王子 インドのアチャールくん』(情報センター出版局)がある。

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