災害に立ち向かう企業・トップの覚悟を知る

大阪北部地震や西日本豪雨被害の影響がまだまだ残り、
不自由な生活を強いられている読者の方もいらっしゃると思います。
今回の災害で被害にあわれました方に心よりお見舞い申し上げます。

さて、今回は、大きな災害にあいながら、見事に復活を遂げた
企業事例を紹介する。

宮城県気仙沼市にある株式会社阿部長商店は、
2011年の東日本大震災で未曽有の被害を受けた。
しかし現在では、見事復活を果たしている。
その姿は多くの被災企業を勇気づけることになると思う。

東日本大震災の際、当社の水産事業の工場は
9工場中8工場が全壊、
観光事業のホテルも半壊する大損害を受けた。
残った工場・ホテルも電気・水道といった
ライフラインが回復しなかったため、
その後、2ヶ月以上にわたり、稼働できない状況が続いた。

震災後、緊急招集された幹部社員や役員による経営会議が
開かれたが、そのとき、1人を除く全員の意見は
「全員解雇やむなし…」
「再建ができたら、そのときまた再雇用させてもらおう…」
というものだった。

当時、対処策について、ハローワークに相談をしたところ、
担当者さえも
「ハローワークが社員を解雇しなさいというのも
おかしいかもしれないが、
今は事態が事態、解雇するべきです。
逆にそうしないと、
会社ばかりか転職できない社員も苦しめます…」
と言われたほどだった。

「会社も地域もなくなった。もう終わったな」と
誰もが覚悟していた状況下、
最後まで全員解雇やむなしという意見に、
頑として首を縦に振らなかった1人が、
阿部泰浩社長だった。

その後、数回開催された経営会議でも、
全員解雇の意見が続出したそうだが、
最終決断日、幹部社員や役員を前にして、
阿部氏は以下のように説明した。

「苦楽を共にしてきた家族同様である社員を
誰一人として解雇しない…。
家どころか家族を失った社員。
地域コミュニテイまでも失ってしまった社員の
唯一の絆は会社である」

「自分たちは決して1人ではない。
みんながつながっていれば再起できるかもしれない」

「この身も心も傷ついたとき、
唯一の絆である会社との絆まで引き裂いたなら、
社員も家族も気仙沼に生きる意味を奪うことになる…。
私が社員なら生きられない…、
生きるも死ぬも皆一緒だ。
この決断に不満があるならば、
まずは社長である私を解雇せよ…」

阿部氏の命がけの決断に、
裸一貫ここまで企業を育て上げた創業者であり、
阿部氏の実父である会長を含め、
反旗を翻す人は誰もいなかった。

そして、数日後、遠方に居住地を移した社員や
大震災で亡くなってしまった社員を除く全社員が招集され、
阿部氏は全社員を前に
「皆さんは家族です…、誰一人として解雇しません…、
一日も早く全員がまた一緒に働けるように頑張りましょう…」
と話した。

2ヶ月間、ほとんど稼働できず、実質ゼロ円であった売上高は、
1年後には86億円と震災前の6割まで回復、
それが4年後には130億円、社員数も560名と、
残った社員の大半が阿部長商店に戻った。

今回の災害で被害にあわれた多くの企業が、
当社と同じく難しい決断を迫られることになると思う。
その中で、当社が進めた取り組みの事例が、
企業復活に向けた何かしらの参考になると思う。

人を大切にする経営学会 事務局支援スタッフ 坂本洋介

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